” Pray for me, that I may not flee for fear of the wolves.” (1)
(ベネディクト16世が教皇として、はじめてしたスピーチの抜粋)
イタリア、ローマ時間の12月31日、午前9:34 ベネディクト16世が、95歳で死去されました。彼は1927年4月16日の聖土曜日に誕生、その後、復活祭のために用意された新しい聖水(2)で洗礼をさずけられた教皇でした。
一人一人に、神は特別なめぐみをあたえています。ベネディクト16世には神様から教皇になるための特別なめぐみが、生まれた日、そして洗礼の聖水にシンボライズされていたようです。
神を恐れる教皇であったことは、カトリック教義を忠実に守りつづけた、さまざまな彼の言動から明らかでした。私は、彼の最大の遺産は、次に述べる3項目ではないかと考えています。
1. 教会で行われた性的虐待の責任者を暴露し、処罰した。
2. 第二バチカン公会議以降、伝統的なラテン語ミサが禁止されたという印象を多くの人が持っているにもかかわらず、そのような禁止はなかったこと、司祭は自由にラテン語ミサを行うことができることを明らかにした。
3. 伝統的な英国国教会の諸派を、ペトロの座(正当な教会:ローマ教皇の権威を認める教会)との完全な交わりに復帰させた。
そしてバチカンの闇の部分である、バチカン銀行の汚職に関する調査を命令。バチカンATMが突然すべて停止、教皇を辞任しました。
辞任したベネディクト16世は、その後も教皇のみが、着用することが許されている白いヴェスメントを、常に着用していました。また教皇を辞任した時点で、通常、バチカン内を去ることが一般的ですが、彼はバチカンを去ることはありませんでした。一体彼の辞任劇に何が起こったのでしょうか。ベネディクト16世が沈黙をつらぬいていたため知ることはできません。
私はベネディクト16世の勇気と信仰にあらためて敬意を表します。なぜなら神が彼をおかれた場所から去ることを選ばず、羊を守る羊飼いとして、狼から逃げず、重荷を背負いつづけたていたように見えるからです。
(復活祭:一度この世の命を失ったキリストが死から復活し、死からすべての人々を救ったことを祝うキリスト教の祭日。イースター)
- Source: https://www.vatican.va/content/benedict-xvi/en/homilies/2005/documents/hf_ben-xvi_hom_20050424_inizio-pontificato.html (retrieved January 2, 2023).
- Source: Salt of the Earth (CD). Lighthouse Media, 2011
- . ATM突然停止基本的な情報リンク: https://www.nytimes.com/2013/01/05/world/europe/debit-and-credit-card-purchases-shut-down-at-vatican.html