サンタマルタでは、ベネディクト16世の訃報が流れる以前から通常通りの業務をする、と宣言していたそうである。いいかえると「何もおきていない」からである。そしてバチカン市国では鐘もならされず、半旗にもされなかった。 (Rorate Caeli より要約。https://rorate-caeli.blogspot.com/2023/01/the-funeral-rites-of-benedict-xvi-and.html)
元教皇への敬意などまるでない行為だといえます。
1月5日のベネディクト16世のお葬式が行われました。葬儀参列に関し、イタリアとドイツ以外の大臣は、参列しなくてよいという命令が出されたそうです。
しかし、多くの国が
「じゃあ大臣ではなく私個人として出席します」
とお葬式に参列したそうです。
このような命令がだされたことは、私の知識の範囲では聞いたこともありませんでした。お葬式、しかも教皇でもあった方が亡くなったということは、多くの人が集まることを前提としています。コロナが怖い等があった、と仮定したとしてもおかしな話です。何か別の納得のゆく正当な理由でもあるのでしょうか。
ベネディクト16世のお葬式自体も非常に質素な感じでした。
バチカンの発表によると「ご本人のご希望」だったそうです。彼らが真実を述べているのかは神のみぞ知る、ということでしょう。
またミサのその短さにも驚きました。
まず現代ミサは、4種類のパターンから司祭が自由に選択できます。4種類の中で最も長いミサは、中世の伝統的なミサのスタイルに近い、一番格式の高いミサとなります。ベネディクト16世のミサは、四種類のミサのなかで二番目に短いミサ、中クラスのミサとなりました。疑問の余地なく、元教皇ベネディクト16世ですから、最もフォーマルなミサになると期待していたのですが。期待を裏切り、二番目に短いミサでした。一番短いミサのパターンは、しばしば毎週行われる日曜ミサで使用されますので、さすがにそれはできなかったようです。
なぜそれほどミサの長さが気になったのか。
ミサは神への祈りと奉納だからです。またミサはカトリック信徒の信仰生活の中心でもあり、最も大切な要素の一つです。そのように大切なミサが短かったのです。あの短いミサが伝えるのは、ベネディクト16世のための祈りを少しでも早く終わらせよう、できるだけ通常の「奉納」で終わりにしよう、そのようなニュアンスだったように感じさせられるからです。