赦しの十字架(パードン・クルシフィクス)-ピオ10世に免償された十字架

カトリックには、長い教会の歴史のなかにうずもれてしまい、見向きもされなくなってしまった宝物が沢山あります。コンバット・ロザリオ(スイス衛兵公式のロザリオ)生みの親であるリチャード・ハイルマン司祭は、「悪魔が何かを憎むとき、単にそれを人々から隠そうとする」と述べています。信徒に、あまり知られていない赦しの十字架も、そのような宝物の一つです。

この十字架の起源は不明ですが、1904年にフランスの司祭たちが、マリア議会(Marian Congress)にて、ある枢機卿 にこの十字架を紹介したことがきっかけで知られるようになりました。その翌年の1905年、この十字架は教皇ピオ10世によって免償符として公布され、この十字架への献身が奨励されました。

赦しの十字架には、十字架の脇に聖母マリアのメダイ、そして聖ベネディクトのメダイがおかれることもあります。これらの聖具のうち、一つでもあれば悪魔にとって憎むべきものですが、三つを組み合わせることで、悪に対する強力な武器になります。

赦しの十字架の祈りと免償符

赦しの十字架は、、他の免償符と同様、告解後の苦行の軽減を提供するもので、罪の免除を提供するものではありません。免罪ではないので、お気を付けください。私は、一瞬免罪かと思い(これで告解にいかなくてもよい)と軽率なことを考えてしまいました。

16世紀初頭、免償符の正確な意味に混乱がありました。そのため1563年のトレント公会議で他の多くの問題とともに、この問題も明らかにされました。それ以来、免償符は「すでに罪が赦されている罪による、一時的な罰を神の前で免除するもの」と明確に定義されています(『カトリック教会カテキズム』1471条)。

赦しの十字架に、教皇聖ピオ10世は以下の免償を与えています

§ 赦しの十字架を身につける者は、それによって免償を得ることができる。

§ 敬虔に赦しの十字架に接吻することにより、免償を得ることができる。

§ この十字架の前で次の呼びかけのいずれかを行う者は、その度ごとに免償を得ることができる

  • 天にまします我らの父よ、我らに罪を犯す者を我らがゆるすがごとく、我らの罪をもゆるしたまえ
  • 聖マリア、私のために神である主にお祈りください

§ この十字架に、常日頃より献身的信仰をもち、告解と聖体拝領の必要な条件を満たす者は、誰でも、次の祭日に全免償を得ることができる。: 主の五つの傷、聖なる十字架の発見、聖なる十字架の日、無原罪の御宿り、聖母マリアの七つの悲しみの祭日に、である。

§ 死の間際に、教会の秘跡を受けた者、あるいは秘跡を受けることができないと思い、心を痛めた者が、この十字架に接吻し、神に自分の罪の赦しを求め、隣人を赦すものは誰でも全免償を得ることができる。

教皇が言及した祝祭日は以下の通りです。

  • 2/6 (リスボンのみ灰の水曜日の次の金曜日となる)主の聖なる五つの傷の祭日
  • 5/3  聖なる十字架の発見の祭日
  • 9/14 聖なる十字架の日の祭日
  • 12/8 無原罪の御宿りの祭日
  • 枝の祝日の前にある金曜日、そして9/15の聖母マリアの七つの悲しみの祭日

そして、こちらもあります。

1905年6月の教皇の詔書、ルマン修道院長方々様、

枢機卿、そしてマリアン議会様へ

免償省の聖なる修道会の総長様へ

この十字架に敬虔に接吻し、貴重な免償を得る信徒には、以下の意図を視野に入れることをすすめます。

私たちが主と聖母への愛をあかしとすること、私たちの聖なる父、すなわち教皇への感謝の気持ち、自分の罪の赦しを乞うこと、煉獄にいる魂の解放、世界諸国の信仰への回帰、キリスト教徒間の赦し、カトリック信徒間の和解。

1905年11月14日の別の教皇詔書により、教皇ピオ10世は、赦しの十字架にあたえられた免償は煉獄にいる魂に適用されると宣言しました。

なくされた免償符である赦しの十字架

1968年6月29日(聖ペトロと聖パウロの祝日)付けで、パウロ6世は『免償符の手引き書-The Handbook of Indulgences』を出版しました。

その本の冒頭近部分には、こう書かれています。「 新しい手引き書(Enchiridion)に載せられていない、すべての一般的な免償符の付与、および教会正式教義本(Codex Iuris Canonici)の免償符に関するすべての法律は、抑制される…」としています。つまり、新しい手引書に載せられたものを除き、すべての免罪符が取り消されたという意味になります。

2冊のうち、厚い本が第2バチカン公会議以前の「免償符の手引き書」で、薄い本が第2バチカン公会議以降の「免償符の手引き書」です。免償符の数が激減していることがわかります。残念ながら、赦しの十字架は新刊には収録されていません。

しかし一方で、赦しの十字架(他の十字架と同様)、聖母マリアの奇跡のメダル、聖ベネディクト・メダルはいずれも強力な聖具です。聖人への祈りや十字架の前で祈ることには、依然として免償の恩恵があります。つまり、赦しの十字架は、時にあるそれに付属するメダイも含め、大きな精神的な宝物を形成しているのです。それは神からの祝福であり、偶然という名の必然であると私は信じています。

スカプラリオに入れられた赦しの十字架

この十字架を知るきっかけとなったのは、ある司祭が日本から私に送ってくださったおかげです。この十字架について、私はいままで聞いたことがなく知りませんでした。先ほども述べたような、三つの強力な聖具が一つになった十字架は、家族の問題を慢性的にかかえている私をとても力づけてくれました。

また送っていただいた十字架は、カルメル山聖母のスカプラリオに入れられていました。赦免の十字架をどのように身に着けても良いと思いますが、スカプラリオに入れるというのはとても良いアイディアだと思います。得に私のように金属アレルギーがあると、身に着けるときアレルギーの心配をせず身に着けることができ、スカプラリオのさらなる恩恵をいただけるからです。本当に感謝でいっぱいです。

この十字架は、もはや公式な免償符ではありません。それでも象徴的に、主を十字架に携えています。この強力な秘跡である赦しの十字架がより広く、人々に知られるようになることを心より祈ります。

Source for Papal documents: The Pardon Crucifix | Catholicism Pure & Simple (wordpress.com)