ベネディクトの不在、ベネディクト16世の就任記念日(1)

2023年4月19日、ニュー・リトゥジカル・ムーブメントは前教皇ベネディクト16世を偲び、次のように掲載していました。(グレゴリー・ディピッポ氏の記事より)

本日は2005年、ベネディクト16世が教皇に選出されて以来、初めて、ベネディクト16世がこの世にいないまま迎える彼の記念日であり、彼の永遠の眠りのために祈りを捧げるのに良い日である。

Deus, qui inter summos sacerdótes fámulum tuum Benedictum ineffábili tua dispositióne connumerári voluisti: praesta, quáesumus; ut, qui Unigéniti Filii tui vices in terris gerébat, sanctórum tuórum Pontíficum consortio perpétuo aggregétur. Per eundem Christum, Dóminum nostrum. Amen.

(翻訳)神よ、あなたのはかり知れない神の摂理におき、あなたの僕ベネディクトが教皇の一人に数えられることをご意志された神よ、地上において、(1)あなたの独り子の座にあった彼が、あなたの聖なる教皇たちの交わりに永遠に加わることができますよう、あなたに懇願いたします。私たちの主である同じ(上で述べた)キリストを通して。アーメン。

(1)あなたの独り子の座-教皇は神の代理人であるため

ベネディクト16世の辞任について

2013年2月28日に教皇職を辞任したベネディクト16世は、名誉教皇としてバチカンに留まり、2022年12月31日に95歳で永遠の報酬に帰天しました。したがって、今年はベネディクト16世がローマ教皇に就任して以来、初めてのベネディクト16世がバチカンに不在である年となります。

不在であることをわざわざ述べるのは、ベネディクト16世の突然の辞任後も、保守派や伝統主義者の間で、ベネディクト16世がまだ、教皇であるかもしれないと考えられていたからです。正式発表は辞任でしたが、実は辞任していない、という説があるのです。ですから、ベネディクト16世が教皇であった、と考える人々にとっては、現在は「教皇不在」の状態となります。

伝統派、保守派に人気のベネディクト16世

ベネディクト16世は教会歴史上、最も長命であった教皇の一人です。多言語に優れた教皇でもあり、教会ラテン語だけでなく、古代ギリシャ語や古典ヘブライ語も読むことができました。ベネディクト16世はラテン語に精通していたためか、伝統的なラテン語ミサの重要性を理解し、モツ・プロプリオ・スンモルム・ポンティフィクム(教皇の発布した書簡の種類)でそれを守り、奨励しました。また、ベネディクト16世は、多くの貴重な書籍を私たちに残してくれました。

ベネディクト16世の突然の辞任は、文字通りカトリック教会と信徒に激震を与えました。心の準備が十分でなかった信徒が、彼に辞任をしてほしくないと思うのも当然です。それでは、辞任劇の後も、ベネディクト16世が教皇であると信じた信徒がいたのは、単に感傷的な理由からだったのでしょうか。

実は、その理由はそれほど単純なものではありません。カトリックに詳しくない部外者には、ベルゴリオ(フランシスコ教皇)枢機卿が、現ローマ教皇であることは間違いないように思えるはずです。保守派、伝統派がベネディクト16世が教皇である、というような結論に至った大きな理由の一つは、カトリック教義や教会法などの観点から、ベネディクト16世の「名誉教皇」としての地位が不明確な部分が多いからです。

ベネディクト16世はなぜ辞任したのか?

まず、突然の辞任の理由です。
ベネディクト16世の辞任には、公にできない理由があったのではないか、と思わせる要素がいくつもあることは無視できない事実です。一方で、ベネディクト16世の辞任理由に関するさまざまな憶測は、いずれも推測の域を出ていないと言えます。

バチカン市国建国記念日に発表されたベネディクト16世の辞任

まず、2月11日にベネディクト16世の辞任が正式に公示されました。声明文には「高齢のため、教皇職を完全に行使するには、私の体力はもはや適切ではないと考えるに至った 」と書かれています。

2月11日は、1929年のラテラン条約で、バチカンが独立国家として承認された日です。つまり、中立不可侵の教皇を絶対君主とするバチカン市国が成立した日なのです。その様な大切な日に、ベネディクト16世が辞任を(させられた?)発表したのは偶然なのでしょうか。

私は、この日が選ばれたのは偶然ではないと考えます。ローマ教皇のバチカン市国の絶対君主としての(理論上の)権力が、覆されたかのような印象を受けるからです。もしそのようなことがあったのだとすると、バチカン銀行スキャンダルに関係していた何者かが、教皇を王とするバチカン市国に勝利した日、ということになります。

バチカン銀行スキャンダルとベネディクト16世

権力と腐敗は表裏一体ですが、バチカンも例外ではありません。ベネディクト16世は、犯罪組織との関係が噂されるバチカン銀行の改革を試みた最初の教皇でした。バチカン銀行は、教皇ヨハネ・パウロ1世の謎の死、マフィア、フリーメーソン説など、暗い噂が絶えません。そのため、ベネディクト16世の改革が疎ましいと思う人物、組織によって改革が停滞したと考える人も多いのです。

また、バチカン銀行スキャンダルにおいて調査されるべきであった資金洗浄、犯罪組織との関係、使途不明金などの疑惑は、いずれもきちんと調査されていない、あるいは調査されてもその結果が明らかにされることはありませんでした。以下は、2013年12月6日のフィナンシャル・タイムズ、リチャード・サンダーソン氏の記事から要約した、複雑でわかりにくい事件の概要です。

バチカン銀行との取引を停止

事の発端は、ユーロ危機を受け、EUの銀行調査機関がバチカンと取引のあった、ドイツ銀行、JPモルガン(ドイツ支店)、ウニクレジット銀行(イタリア支店)等の調査を決定したことです。

調査が入る、と知った調査対象の欧州の銀行は、バチカン銀行と取引ができなくなる可能性を、バチカンに警告したと伝えられています。その後、資金洗浄が疑われたウニクレディト銀行は、バチカン銀行との取引を停止した最初の大手金融機関となりました。

EUの調査員達は、直接バチカン銀行を調査できないため、バチカンと取引のあるいくつかのEU銀行にも圧力をかけました。バチカン市国は独立国家であり、EUに加盟していないため、直接調査することがができなかったためです。

ベネディクト16世の対処

この状況を改善するため、2009年、ベネディクト16世はバチカン銀行の新しいトップとして、イタリア人のエットーレ・ゴッティ・テレスキー氏を任命しました。また、マネー・バール(資金洗浄調査委員会)を招き、バチカン銀行を調査させることとします。

テレスキー氏はイタリアの銀行界から人望を集めていましたが、多くの枢機卿とは上手くいきませんでした。2012年5月、バチカン銀行取締役が彼を追放し、資金洗浄疑惑で彼を告発。その後イタリア政府がテレスキー氏を取り調べますが、無罪と判定、彼が罪に問われることはありませんでした。

2012年3月、ドイツJPモルガンがバチカンとの取引から手を引きます。

招待されたマネー・バールの調査結果、バチカン銀行の評価は16段階中の9でした。

バチカンATMの停止とベネディクト16世の突然の辞任

そして、2013年1月1日、バチカンのATMは停止してしまいます。これは、イタリア銀行がバチカンATMの運営権を持つ、ドイツ銀行に圧力をかけたために起こったことです。イタリア銀行はドイツ銀行に書簡を送り、「バチカン銀行は国際法を遵守していない。ドイツ銀行はバチカン銀行に協力することにより、違法行為を行っているのではないか」と問い詰めたからです。この状況に危機感を抱いたドイツ銀行は、バチカンATMの運用停止を決定したのです。

この問題を解決するため、ベネディクト16世は、ドイツ人のエルンスト・フォン・フライベルクを銀行の新しいトップに、さらに、スイス人のレネ・ブリュエルハルトをバチカン財務監督官に任命しました。ブリュエルハート氏は、EUとは無関係のスイスの銀行であるアドゥーノ・グループにATMの運用を依頼しました。そして、2月11日、ベネディクト16世が突然、辞任を表明したのです。翌2月12日、アドゥーノ・グループの契約が成立し、ATMは再び機能するようになりました。

スイスの銀行は、機密性が非常に高いことで知られています。現在に至るまでバチカンATMの運用兼を握るのは、EUの手の及ばないスイスです。また、バチカンの銀行長には2014年7月9日にフランス人、ジャン・バプディスト・ドゥ・フランス氏が、フランシスコ教皇により任命され、現在に至っています。

ベネディクト16世、神秘的な体験の末に退任を決意?

2013年8月21日付のガーディアン紙の記事によると、ベネディクト16世は神秘的な体験をした後、祈りに人生を捧げることを決意し、退任を決めたとありました。ガーディアン紙によると、このニュースを報じたのはゼニット(Zenit)通信社ということです。情報源とされたゼニットですが、2020年12月に、一時、業務を停止していました。現在は営業を再開しているようですが、その情報源とされる記事を見つけることはできませんでした。

ベネディクト16世が、神秘的体験をしたことにより退任とのニュースをCAN(カトリック・ニュース・エージェンシー)が、2013年8月27日の記事で否定しています。CANによると、8月25日、イタリアのテレビ局Tg5のインタビューで、退任したベネディクト16世の個人秘書ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教は「この記事はアルファからオメガに至るまで捏造されたものだ」と述べたことが引用されています。

ゲンスヴァイン大司教やCNAと比較すると、匿名の情報源や消えたゼニットの記事等は、ほとんど信用に値しないということです。ベネディクト16世の 「神秘体験 」の話は、おそらく作り話以外の何物でもないのです。

image of Benedict XVI from Turn back to God

復活した主イエス・キリスト: 魂の救済者 (2)

復活したキリストの墓と言われる場所は、エルサレムにある聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)とされています。この教会はどのようにして誕生したのでしょうか。

聖ヘレナが巡礼したキリストの墓

コンスタンティヌス帝(在位:306-337年)の母ヘレナがエルサレムに巡礼に行き、エルサレムの住民に、キリストの墓はどこにあるのか、と尋ねたという話があります。ヘレナに尋ねられた住民は、ローマ帝国のあるヴィーナス神殿にヘレナを案内しました。その下にイエスが葬られた場所があるという伝承があったためです。しかし、そこは異教の神殿であったため、キリスト教徒もユダヤ教徒も立ち入ることはできませんでした。なぜなら、コンスタンティヌス帝が改宗する以前、ローマ皇帝はキリスト教徒ではなく異教徒だったからです。ローマ人がキリストの墓の上に異教の神殿を建てたのは、キリスト教徒がそこで礼拝するのを防ぐためだったと思われていました。この事実を知ったコンスタンティヌス帝は、異教徒の神殿を破壊するよう命じました。そして、その後、その場所に立派な教会を建てさせました。ヘレナはこの時、主の十字架の跡も見つけたという伝説もあります。

4世紀の教会史家エウセビオスは、ヘレナが聖地を巡礼し、キリストの誕生、昇天、復活の地に教会を建てたと記しています。しかし、それ以外では、何が起こったのか明らかではありません。けれども今日に至るまで、世界中から巡礼者が訪れるこの場所は、イエスが死からよみがえった場所として信仰の対象となっています。

マグダラのマリア: 復活したイエスを最初に見た人物

Christ Appearing to Mary Magdalene, ‘Noli me tangere’
Rembrandt

マグダラのマリアは、復活したイエスを最初に見た人物です。空っぽになった墓を見、復活した主との出会いは、ヨハネによる福音書第20章1-18節に記されています。

私が参加したイースターのミサでは、司祭が、疑うトマスとマグダラのマリアの例えを用い、信仰について語りました。復活したイエスがマリアに話しかけたとき、マリアは迷うことなく「ラボニ(先生)」(ヨハネ 20:16)と答えました。一方トマスは、イエスの傷跡に手を触れるまでは信じないと明言していました。司祭は、現代人にとって、マグダラのマリアよりもトマスの反応の方が理解しやすいと述べています。

私は、マグダラのマリアの信仰にいつも感心しています。マグダラのマリアは、復活したイエスに触れもせず、イエスが肉体的に復活したことを全く疑わず、言われたとおりにすぐに他の弟子たちに復活を知らせに行ったからです。私は聖書の物語を知っていても、復活の科学的根拠を知りたくなるからです。

司祭の話す「見ずに信じる人は幸いである」(ヨハネ 20: 29)を聞きながら、見えるもの、言い換えれば、この世のものにしか注意を向けていない自分に、改めて気づきました。見えるものではなく見えていない神を信じられる人、そのような人になれるようにもっと祈ろう、と感じています。

復活祭洗礼

私の教会では、復活祭に七人の人が洗礼を授かりました。年齢も若い方から年配の方までと、様々でした。彼らはとても幸せそうで、明るく輝いていました。復活祭は象徴的にも、洗礼とぴったりですから、彼らの洗礼は一生の思い出になると思います。

洗礼を受けたとき、私は彼らと同じように幸せな気持ちになりました。心も体も軽くなり、新しく生まれ変わったような気がしました。それだけでなく、それまで感じていた慢性的な憂鬱感や人生に対する失望感がなくなったのです。

本当の理由は分かりませんが、洗礼を受ける以前、私の魂は霊的に死んでいたのだと思います。しかし洗礼によって、私はキリストの命によって生き返ったのだと思います。今でも、落ち込むことはありますが、以前感じていたような、心の闇が全くなくなりました。悲しくても、心が安らぐことができるのです。

奇跡について、W.ウィルマース師は『キリスト教宗教ハンドブック』(ベンジンガー、1891年)の中で次のように説明しています(p. 18)。「神が奇跡を起こすことができるなら、宇宙の主である神が奇跡を通して我々に語ろうと望むなら、神はまた状況をうまく調整し、我々の心に影響を与え、多くの場合、奇跡が起こったことを確実に知ることができる」と書かれています。洗礼を授かった後、魂が復活したかのような感覚は私にとり、そのような奇跡の経験だったのです。

Image: Christ`s tomb, in the Old City of Jerusalem, Israel

復活した主イエス・キリスト: イエスは十字架で死んだのか? (1)

喜びの日、主の復活祭、皆様に沢山の幸福がありますように!

四旬節が終わると、キリスト教徒にとって最も重要な祝祭日がやってきます。復活祭です。
聖なる三連休と復活祭の典礼は、私たちの主イエス・キリストの受難、十字架刑、死、そして復活を祝うものです。

神の神秘、復活

すべての典礼は重要ですが、復活祭は、そのなかでもキリスト教徒にとり特別です。私たちは、主イエス・キリストの復活による魂の救済を信じるからです。私は洗礼に備え、キリスト教を学び始めるまで、復活祭についてほとんど知りませんでした。おそらく、多くのキリスト教徒でない人々にとり(かつての私もそうでした)、イースターエッグとイースターバニーが登場する日に過ぎないでしょう。常識で考えると、起こるはずがない死んだ人間の復活。そんなことを信じられる人がいるのでしょうか

イエス・キリストが神であり、神が全能であると信じるなら、私たちの主イエスは、死んだ自分の肉体を生き返らせる奇跡を含め、どんな奇跡でも起こすことができるということになります。そして、教会は、まさにイエスがそれを行ったと教えています。十分な信仰を持つ者にとっては、その答えで十分です。しかし、ほとんどの人は、信仰には状況証拠の助けが必要なのではないでしょうか。

私も以前は、復活に対して懐疑的でした。イエスが十字架から降ろされた時、仮死状態であり、墓の中で意識を回復したのではないかと思っていたのです。けれどもそのようなことは、ほぼ不可能だと知りました。当時のローマ兵は、罪人の処刑方法を熟知しており、ローマ帝国の磔刑を生き延びるには、本当に奇跡が必要だったからです。

スパルタクスと6000人の仲間の運命

では、磔刑(たっけい)とは、一体どのような刑罰だったのでしょうか。磔刑は特に、ローマ政府に反抗しようとする、下層階級や奴隷を対象にした処刑方法でした。この処刑法は、ローマ市民には適用されませんでした。

よく知られている磔刑に処された人物に、スパルタクスと彼の6000人の仲間の話があります。

紀元前73年から71年にかて、奴隷階級であった剣闘士スパルタクスはローマ政府に対し、反乱を起こしました。(剣闘士は、当時ローマ社会の奴隷階級に属していました)しかし、反乱奴隷のスパルタクスとその仲間6000人は、ローマ軍に鎮圧されてしまいます。ローマ軍は、ローマとカプアの町を結ぶ道路沿いに、十字架の延々と続く列を作ると、この十字架にスパルタクスとその仲間6,000人を磔にしたのです。

磔刑が選ばれたのは、拷問と処刑が一体となったシンプルな装置だったからです。また、その方法が簡単なため、多数の犯罪者を一度に処刑する際に便利だったからです。

ローマ帝国は、すでにスパルタクスとその仲間6,000人を十字架にかけることに成功していました。イエスと他の2人の罪人を処刑することなど、簡単な作業だったでしょう。ローマ帝国の処刑で犯罪者が生き残ったという記録は、これまで発見されていません。最も可能性の高い理由は、誰も生き残らなかったからです。

十字架刑から生還することは可能だったのか

磔刑では、罪人が死ぬまで、兵士が十字架の前で見張りをしていました。通常、罪人が死ぬまで、2、3日かかると言われていました。ローマ軍が早く罪人を死に至らしたい場合、罪人の足を鉄の棍棒で折り、体を支えられなくし、窒息死させることもありました。

また、見せしめとして、罪人は通行人や民衆から見える場所で磔にされました。罪人が十字架になすすべもなくぶら下がっていると、ハゲワシやカラスが飛んできて、目玉をつつくこともあったと伝えられています。

ローマ法では、もし罪人が生き延びたり逃げたりすると、見張りの兵士が罪人の代わりに磔にされることが明記されていました。この法律により、兵士が任務を怠らないようにすることができたのです。

イエスの場合、十字架にかけられた後、わずか3時間後に亡くなりました。そのため、見張りの兵士は、イエスが本当に死んだかどうかを確認する必要がありました。死亡を確認するために、兵士はイエスの脇腹から心臓に槍を突き刺したのです。例えイエスが、鞭打ち、茨の冠、釘の傷による大量の出血を生き延びたとしても、心臓を貫く槍は、確実にイエスを殺したに違いありません。ヨハネは十字架のそばに立って、その一部始終を見ていました。ヨハネの福音書には、間違いなく心臓を貫かれたことが記されています。

槍で刺されたイエスの心臓

聖ヨハネは、兵士が主の脇腹を刺した時の様子を、以下のように描写しています。

「しかし、兵士の一人が槍で(イエスの)脇腹を刺したので、たちまち血と水が出た。それを見た者が証言している」(ヨハネ19:34-35)。

ここで私が疑問に思うのは、ヨハネが見た「水」とは何だったのか、ということです。ウィリアム・D・エドワード達による(William D. Edwards, MD; Wesley J. Gabel, MDiv; Floyd E. Hosmer, MS, AM)共同論文では、イエスの体から流れ出た水は、おそらく漿液性胸液(しょうえきせい きょうえき)と心嚢水(しんのうすい)だったとあります。 この論文はThe Journal of the American Medical Association.に掲載されています。

しかし、この論理が成り立つのは、イエスが右側から突き刺された場合のみとなります。福音書は、イエスが右側から刺されたのか、左側から刺されたのかについて、何もふれていません。しかし、興味深いのは、イエスと思われるトリノの聖骸布に描かれている人物は、右側から刺されているのです。

これは偶然の一致なのでしょうか。この布の不思議な事実は、ひとつだけではありません。トリノの聖骸布には、科学的に説明できない不思議な特徴がたくさんあるのです。

いずれにしろ、ローマの処刑が徹底していたことを考えると、ローマ兵が私たちの主イエスを処刑し損ねたとは考えられません。ローマ兵に拷問され、十字架にかけられたイエスが、死んだのではなく、ただ首をたれていただけだ、というような考えなどは検討にも値しません。

また復活祭で使徒たちが見たのは、復活した肉体ではなく幻覚や幽霊だった、使徒たちが復活の物語を捏造し大規模な詐欺を働いた、復活を説明するために作られた話だった、などの説が存在します。私はこれらの説も検証してみました。この記事で私の調べた結果を、すべて説明する時間はありませんが、簡単に言うと、他のすべての合理化された理論も精査に耐えられないということです。

知れば知るほど、主イエスの復活を疑うことは難しいからです。

Image: Two sheep by fsHH

(2)へつづく

聖金曜日と主の受難

受難の金曜日、すなわち、聖金曜日、

「最後の晩餐」を記念する「聖木曜日」が終わり、「受難の金曜日」がやってきました。受難の金曜日は、イエス・キリストの受難と死の日であり、聖三日祭(四旬節の最後の3日間、「聖木曜日」「受難の金曜日」「聖土曜日」からなる)の中で最も厳粛な日です。英語では グッド・フライデーと呼ばれますが、その由来には諸説があります。キリスト教では、全人類の罪を償うため、完全な善であるキリストが死に至るまで従順であったことを信じ、救いの日である主の磔刑を記念する日です。

聖金曜日の典礼

聖金曜日は、祈りと断食の日です。以下に、世界のカトリック教会が聖金曜日にどのような様子なのか、そのほんの一部をご紹介します。

Christians In Jerusalem Walk In A procession To Mark Good Friday | Good Friday 2023 LIVE | News18

エルサレムにて

エルサレムでは、毎年多くのキリスト教の聖職者や信徒が集まり、イエスが磔にされる際に通ったという伝説の道「十字架の道行」(Via Dolorosa)を祈りながら歩きます。行列が特別な祈りと瞑想のために立ち寄る14の場所は、聖書や書き残された伝統の中で、イエスに関連する場所です。ヴィア・ドロローサ、十字架の道行の行進は、フランシスコ会の修道士によってエルサレムで始められました。それ以来、フランシスコ会は毎週金曜日に十字架の道行をしています。ニュースの生中継では、今年も多くの人が参加している様子が映し出されていました。また、多くのフランシスコ会修道士が、十字架の道行を歩いている様子も見ることができました

バチカンにて

April 7, 2023, Celebration of the Passion of the Lord Pope Francis

バチカンでは、サンピエトロ大聖堂で聖金曜日のミサが執り行われました。小カプチン修道会の司祭で神学者のラニエロ・カンタラメッサ枢機卿が説教を行いました。カンタラメッサ枢機卿は、ニーチェを例に挙げ、神が「死んだ」とすれば、かつて神が占めていた中央の場所に鎮座しているのは、たいてい人間自身であると説明しました。また、完全な善である神に支配されるのではなく、不完全な人間に支配されることがいかに危険であるかを指摘しています。特に、脱クリスチャン化した欧米諸国は、無神論の行き着く先である相対主義やニヒリズムのブラックホールに魂を奪われる危険性があると警告しています。

米国ワシントンD.C.にて

米国ワシントンD.C.の無原罪の聖母バジリカでは、ウォルター・R・ロッシ師によって典礼が行われました。ロッシ師は、「十字架の道行」の歴史について説明し、それに関する愛読書(聖アルフォンサス・リグオリ著のもの)についても語っています。また、十字架の道行でよく歌われる14世紀の伝統的な聖歌「Stabat Mater」の2節(英語訳)を歌ってくれました。そして、聖母マリアの悲しみを例えとし、凶悪犯罪や戦争で子供を失った母親の悲しみに言及しています。そのうえで、聖母マリアは私たちを守ってくれる存在であることを強調しています。そして私たちが、最後までキリストに寄り添うことができるよう、聖母マリアに願い締めくくっています。

日本の東京にて

東京の聖マリア大聖堂で、菊池功大司教が、主の十字架を見出す主の受難日は、私たちの信仰の原点であると述べています。そして、私たちのために苦しんでくださった主の受難に、私たちの心を合わせることを話されていました。さらに、十字架のそばにとどまり、苦しみの先にある真の栄光と希望への道を見出した、聖母マリアに倣うよう励まされています。最後に、教皇のため、教会に仕えるすべての人のため、トルコ南東部の地震の犠牲者のため、医療関係者のため、戦争で苦しむすべての人々のために祈りをささげています。

ロザリオの悲しみの秘儀を祈る

私はロザリオを祈るとき、キリストの十字架上の死で終わる「悲しみの秘義」(通常火曜日と金曜日に祈る)は、昔から一番苦手です。主が残酷な扱いを受け、処刑されるまでのストーリーの「リアルさ」に、いやな気分になるからです。

そんな時は、「キリストは私たちを愛して死んでくださった、私たちに救いをもたらしてくださった」という思いに集中するようにしながら、ロザリオを祈り続けています。多少暴力的な映画などを見ても、嘘っぽく見え、平気なほうなので自分でも不思議に思います。もしかしたら、恐ろしくて嫌だと感じているのは、自分の罪の重さなのかもしれません。

私は自分の罪について、十分に意識できているのだろうかとよく考えます。キリストの片側で十字架につけられた「良い泥棒」のように、もう片側の泥棒に「私たちは自分の行いの報いを受けています」(ルカ23:41)と言うことができるのだろうか、と。主は、「自分の十字架を背負って、私についてきなさい 」と言われています。

私はキリストが、私の罪を赦し、自分の十字架を背負う勇気を与えてくださるよう、祈りたいと思います。

Image: Reproduction of painting Pieta of Villeneuve les Avignon. The author is probably Enguerrand Quarton. 15. century, Louvre, Paris.

聖木曜日: 最後の晩餐

日曜日の復活祭まで、あと3日となりました

復活祭のまえの「最後の晩餐」を記念する聖木曜日は、古いキリスト教の古い祭日の一つです。「最後の晩餐」である聖木曜日とは、イエスが受難の前に弟子たちと食べた食事(おそらく過越の食事)につけられた名称です。いつはじまったのか、ということについては不明ですが、教会の初期に12人の使徒が「聖木曜日」を祝っていたのかもしれません。

実は、この過越祭を祝うためであった、ということについて、また最後の晩餐について、神学者、研究者、多くの対立する説を唱えています。ここでは、それらの説についてはふれることはしません。しかし、最後の晩餐を記念する聖木曜日(Maundy Thursday)は、ほとんどすべてのキリスト教の教派にとり、重要な意味をもっている、ということは言うまでもありません。

天才画家が描いた 最後の晩餐

「最後の晩餐」は、数多くの芸術家たちも描いています。世界で最も有名な絵画の一つであるのは、サンタ・マリア・デレ・グラッチェ教会にある、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」(1495-1498)です。保存状態が大変悪かったため、現存していること自体が奇跡である、といわれているそうです。

レオナルドの絵では、後にイエスを裏切るユダ(左から5番目テーブル手前の人物)が、金の入った袋を持っているのが見えます。これは、聖書に書かれているような伝統的な描き方ではありませんが、「裏切り者のユダ」と瞬時に理解され、より劇的な効果を生み出しています。

そして、ヨハネです。伝統的には、ヨハネの頭は、イエスの方を向いて描かれます。しかし、レオナルドの絵では、ヨハネの頭(イエスから向かって左)はイエスと反対の方向にかたむいています。これにより、イエスとヨハネの間に空間が生まれ、中央のイエスに注目が集まるという視覚的効果を生んでいます。興味深いのは、イエスだけが後光を浴びて描かれていて、弟子たちには描かれていないことです。

下記に紹介したネリ修道女の伝統に忠実な絵とちがい、この絵からは、使途とイエスの人間ドラマがより強く感じられます。イエスの弟子たちがリアルに描かれていながら、絵全体としては神聖さや神秘性を感じさせます。レオナルド・ダ・ヴィンチの天才ぶりは、本当にすごいですね。

修道女が描いた「最後の晩餐」

レオナルドの絵とよく似た構図で、ドミニコ会修道女プラウティラ・ネリ(1524-1588)もフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラに「最後の晩餐」を描いています。この絵は、彼女のサインが入った現存する唯一の絵です。

ネリ修道女の絵のユダは、聖書に出てくる「皿に手を浸した人」(マタイ26:23)として描かれています。また、ユダはこの絵の中で唯一、後光を浴びていない人物として描かれています。ネリの描写は、レオナルドのように画家の独創性を強調するものではなく、聖書に基づいた伝統的なものとなっています。

当時の修道女が芸術家であったとしても、本の挿絵などの小さな作品しか描かなかったのに対し、この作品は7m×2mの大きな油彩画です。私は、ネリ修道女は、レオナルドの「最後の晩餐」にインスピレーションを受けたのではないか、と思います。レオナルドの絵のお手本があったからこそ、自分の絵をここまで大きくする気になったのかもしれませんね。

哀歌の意味

伝統的に、聖木曜日の朝は、エレミヤの哀歌(ラテン語でLamentationes、ギリシャ語でThrenoi、ヘブライ語でKinoth)の冒頭から数節を歌います。「哀歌」は、象徴的には、メシアが殺された後の世界の状況や、罪に堕ちた魂の状態に関係しています。

ヘイドックスの聖書注解によると、預言者エレミヤは、バビロニアによるエルサレムの破壊に関連する神の言葉を語ったとされています。「哀歌」がエルサレム破壊の前に書かれたか、後に書かれたかは不明です。

聖ジェロームは、哀歌はエルサレム破壊の前、ヨシヤ王の死の時に書かれたと述べています。そうであれば、当然、ゼカリヤ王の死とエルサレムの破壊の際にも、同じ「哀歌」が再び歌われた可能性があったことだと考えられます。

聖木曜日のための古い聖歌

グレゴリオ聖歌はローマで始まり、西欧諸国に広まりましたが、スペインとポルトガルにはモザラビック聖歌と呼ばれる独自の聖歌があります。グレゴリオ聖歌と同様、モザラビック聖歌はラテン語で歌われます。その旋律は、アラビア音楽の影響を受けているともいわれ、哀歌にふさわしい深い悲しみの旋律です。モザラビック聖歌による「哀歌」の豊かな霊的響きを聴くとき、音楽と祈り、信仰の密接な結びつきを感じさせられます。

Mozarabic Lamentations | Holy Thursday, Lectio 1/Gregorian Chant Academy

以下、聖歌の内容を日本語(新共同訳)で紹介いたします。

第一の歌(アルファベットによる詩)

1. なにゆえ、独りで座っているのか
人に溢れていたこの都が。
やもめとなってしまったのか
多くの民の女王であったこの都が。
奴隷となってしまったのか
国々の姫君であったこの都が。

2. 夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。
彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。
友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。

3. 貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き
異国の民の中に座り、憩いは得られず
苦難のはざまに追い詰められてしまった。

4. シオンに上る道は嘆く
祭りに集う人がもはやいないのを。
シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻く。
シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。

5. シオンの背きは甚だしかった。
主は懲らしめようと、敵がはびこることを許し
苦しめる者らを頭とされた。
彼女の子らはとりことなり
苦しめる者らの前を、引かれて行った。

伝統的に、聖木曜日のミサは他のミサと同様に午前中に行われていましたが、第二バチカン公会議以降、夕方に行われるようになりました。わたしの教会では、家族、司祭、病人、死者、そして米国がすべての人間の生命(受胎から自然死まで)を尊重するように祈りました。

四旬節の終わりまで、あと2日となりました。

ゆるしの秘跡の守秘義務は守られるべきか

最近のニュースで、「ゆるしの秘跡」で明かされる情報の守秘義務について、論争があります。このような守秘義務は、告解の封印(カトリック用語)、聖職者懺悔の特権(法) として知られています。この論争は、告解室で聞いた告白が、性的虐待に関する場合、司祭に警察への報告を、法的に義務付けることが望ましいかどうかというものです。以下はニュースの概要です。

ワシントン州とバーモント州では、カトリックの司祭の守秘義務を認める民法を撤廃するかどうかが検討されている。それを受け、ワシントン州スポケーン教区のトーマス・ダリー司教は、今週、ワシントン・エグザミナー紙のインタビューに対し、州議会で提案された法案(HB1098)が制定されれば、カトリック聖職者は遵守を拒否するだろう、と語った。- 3月3日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡の守秘義務は交渉不可能 

トーマス・ダリー司教は、そのような法案が制定されてた場合、告解の封印を破るくらいなら、刑務所に入ると宣言しました。また、同僚のカトリック聖職者たちも同じことをする、と確信していると付け加えました。さらにダリー司教は、「秘跡を破ることは、交渉可能な問題でない」と断言しています。

※3月8日付、アメリカン・マガジンによると、ワシントン州とデラウェイ州では、この法案が法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

同じくデラウェア州ウィルミントンでも、司祭が秘跡を破ることになる法案を通そうとしています。ウィルミントン教区の司教も、断固とした態度で臨んでいます。

ウィルミントンのウィリアム・E・ケーニッヒ司教は、秘跡に反対する法案が提出されているにもかかわらず、懺悔室の封印は「いかなる状況においても破られることはない」と明言している。- 3月9日付 ライフサイト・ニュース

※3月8日付のデラウェイ・ニュースによると、この法案が、法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

※いずれも、3月8日以降、まだ情報が更新されていないようです。

2019年カルフォルニア州議会においては、司祭が告解室で聞いたある種の情報を義務付ける法律を制定しようとしました。その試みは失敗しました。前例から考えると、今回も失敗する可能性が大きいのでは、と予測されますが、また誰かが同じことを試みないとは確信はできません。司祭の仕事を妨げる同様の試みが、今後、立法府に入る可能性は高いといえます。

A Church Interior with Women at the Confessional 1863
Ludwig Passini

ゆるしの秘跡の守秘義務は不要なのか?

一方、ある司祭は、聖職者のもつ守秘義務の特権を、撤回する考えを支持しました。以下は、その概要となります。

ウィスコンシン州ミルウォーキの引退したカトリック司祭、ジュームス・E・コーネル司祭は、守秘義務を認める特権を撤回する考えを支持する論説を執筆した。ウィスコンシン州のジェローム・リステッキ大司教は、コーネル司祭の不穏な働きを嘆き、彼から秘跡をあたえるすべての権限を剥奪した。- 3月23日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡をおこなう権利は、司祭の大司教、もしくは司教から与えられます。したがって、コーネル司祭は世界中どのカトリック教区においても、告解を聞くことができなくなるのということです。もしコーネル司祭が(あるいは他の司祭が)告解の封印を破った場合、自動的に破門されることになります。

司祭を通し、神に罪を告白する告解の秘跡は、世間が考える「告白」とは異なるものです。司祭をとおしてさずかる罪のゆるしは、魂の救いを伴うものだからです。秘密を明かさなかったため、殉教した司祭もいるのです。そして、いかなる状況であれ、告解の封印を破った司祭は、自動的に破門になります。

私は、リステッキ大司教が、コーネル司祭の権利を剥奪したことは、彼が破門になる危険をなくすためでもあったと考えます。そして告解の内容が秘密にされるという確信は、信徒に、魂の救いである秘跡を受けることを、勇気づけたのではないかと思います。

告解の内容に報告義務を課す法案:弁護士の考察

倫理・公共政策センター(Ethics and Public Policy Center)が発表した記事の中で、300以上の宗教団体などの権利を擁護してきた、優れた訴訟弁護士であるエリック・クニフィン氏は、ワシントン州、バーモント州、デラウェア州の法律案について、次の3つの大きな問題点を指摘しています。

1) 提案された法律は、政府が司祭に告解室での封印を解くよう強制できると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立した場合、司祭が「州に証拠を突きつける」のではなく、神父が刑務所に収監される結果となる。

2) 提案された法律は、告解室の封印を解くことで、子供たちがより安全になると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立すれば、虐待者(および他の罪人も同様)は告解から遠ざかる傾向がある。その結果、子どもたちはより安全でなくなる。

3) 提案された法律は、宗教を差別している。提案された法律は、聖職者の秘匿特権(すなわち告解室の封印)を攻撃するが、弁護士と依頼人の秘匿特権(弁護士は依頼人が話したことを明らかにしない)については言及しない。つまり、この法律案によれば、世俗的な理由であれば秘密はOKで、宗教的な理由であれば秘密はNGということになる。これは宗教に対する差別であり、違憲である。

宗教的な信仰を守ることも重要である。そのどちらか一方を優先させるのが議員の仕事ではない。両者を両立させるために、配慮と尊敬をもって努力することだ。

ボストン・グローブ紙のコラムニスト、ジェフ・ジャコビー氏が最近書いた「子供を守ることは極めて重要な問題である」という言葉を引用して、クニフィン氏は締めくくっています。

このような法案は、宗教の自由を脅かすものです。破門か逮捕かの二者択一を司祭に強いるような社会になってはならないのです。

ゆるしの秘跡の暴露本


前述したように、告解室は厳重な機密保持の場です。

2年前、そんな告解室の秘密を暴くような本が出版されました。フランス、ヴァンサン・モンガイヤール著、「私はあなたの罪をすべて許します」(Je Vous Pardonne Tous vos Péchés)です。この本は、40人の神父が聞いた告白の実話を集めたものです。この本のためにインタビューを受けたある司祭は、教会の法律に違反しないように、告白の個人的な詳細はすべて変更されていると説明しています。

ハーパーズ誌が翻訳した抜粋は、50代のカップルのコミカルな告白から、犯罪者に赦免を与えた後のある司祭の後悔まで、多岐にわたります。

私の印象では(私が読んだ抜粋だけでは)、告白のほとんどは、人々が犯す一般的な誤り(例えば、その多くは夫婦間の不貞に関わるもの)についてのものだと思われます。この本が教会法に違反していないとしても、私は、このような話を明らかにするよりも隠す方が、ゆるしの秘跡の尊厳にかなうと思います。

ゆるしの秘跡についての司祭からの指摘

ライフサイト・ニュースのインタビューで、神秘主義者としても知られる、ミッシェル・ロドリゲス司祭が、私たちが直面している霊的な戦争について話しています。そして、祈りとともにゆるしの秘跡を受ける、ということの大切さを強調しています。ゆるしの秘跡について、ロドリゲス司祭は、次のようにアドバイスしています。

1)小さな罪(小罪)から大きな罪(大罪)まで告白する。(自分がしてしまった罪の告白)

2)あなたがすべきであったのに、しなかったことを告白する。

私は今まで2)の、すべきであったのにしなかった、ということにはあまり注意を払っていませんでした。「やらなかった」という単純な事実は、七つの大罪の一つである「怠惰」ではないかと思い至りました。

仕事をし、忙しくしているからと言って、怠惰の罪から解放されるわけではないのだ、と知っています。その一方、神の恵みによってのみ気づくことができる、霊的な怠惰の罪は、やっかいだ、と感じています。

第二バチカン公会議以降、告解に行く人の数は減ったと言われています。私はゆるしの秘跡をさずかり、心と体が軽くなった経験を何度もしています。私だけではありません。私のプロテスタントであった知人も、改宗し、はじめてゆるしの秘跡を受けたあと、文字通り背中から大きな荷が降りたような軽さを背中に感じたそうです。

マザーTは、いつも私に、祈り、ゆるしの秘跡にあずかることが、いかに大切かを話してくれていました。私たちは、このような神秘的秘跡をさずかれる恩恵を見逃すべきではないのです。

告解の封印と宗教の自由

米国では、国家と教会の間の亀裂がますます大きくなってきています。先に述べたように、最大の問題は、教会の信教の自由を脅かす圧力です。圧力には、カトリック系病院に中絶を行わせる法律、教会関連団体に従業員が使用する避妊具を負担させる法律、カトリック養子縁組機関に同性カップルの養子縁組をさせる法律、(現在)聖職者の懺悔特権を剥奪する法案などです。

告解の封印を解くことを司祭に要求するという話は、女性の「聖職化」を支持する人々を思い起こさせます。

1994年、教皇ヨハネ・パウロ二世は、「教会には女性に司祭叙階を授ける権限は一切ない 」と宣言しました。今回の聖職者の特権の剥奪に関しても「教会にはそれを行う権限はない」のです。告解の印は教会法であると同時に「神の教え」であり、教皇自身が変えようと思っても変えることはできないものなのです。

ところが世俗国家は、カトリック教会とは、世俗的国家から独立した権利を持っている、という事実をすんなりとは受け入れてはくれないようです。

この問題で「児童性的虐待」という言葉を持ち出す本当の目的は、人々の感情を揺さぶり、この法律案が、実際には変えられないものを変えようとしている、という事実に目をつぶることなのです。この法律案は、児童虐待を防止するためのものではありません。宗教の自由に対する攻撃、秘跡に対する攻撃、教会に対する攻撃に他なりません。

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