受難の金曜日、すなわち、聖金曜日、
「最後の晩餐」を記念する「聖木曜日」が終わり、「受難の金曜日」がやってきました。受難の金曜日は、イエス・キリストの受難と死の日であり、聖三日祭(四旬節の最後の3日間、「聖木曜日」「受難の金曜日」「聖土曜日」からなる)の中で最も厳粛な日です。英語では グッド・フライデーと呼ばれますが、その由来には諸説があります。キリスト教では、全人類の罪を償うため、完全な善であるキリストが死に至るまで従順であったことを信じ、救いの日である主の磔刑を記念する日です。
聖金曜日の典礼
聖金曜日は、祈りと断食の日です。以下に、世界のカトリック教会が聖金曜日にどのような様子なのか、そのほんの一部をご紹介します。
エルサレムにて
エルサレムでは、毎年多くのキリスト教の聖職者や信徒が集まり、イエスが磔にされる際に通ったという伝説の道「十字架の道行」(Via Dolorosa)を祈りながら歩きます。行列が特別な祈りと瞑想のために立ち寄る14の場所は、聖書や書き残された伝統の中で、イエスに関連する場所です。ヴィア・ドロローサ、十字架の道行の行進は、フランシスコ会の修道士によってエルサレムで始められました。それ以来、フランシスコ会は毎週金曜日に十字架の道行をしています。ニュースの生中継では、今年も多くの人が参加している様子が映し出されていました。また、多くのフランシスコ会修道士が、十字架の道行を歩いている様子も見ることができました
バチカンにて
バチカンでは、サンピエトロ大聖堂で聖金曜日のミサが執り行われました。小カプチン修道会の司祭で神学者のラニエロ・カンタラメッサ枢機卿が説教を行いました。カンタラメッサ枢機卿は、ニーチェを例に挙げ、神が「死んだ」とすれば、かつて神が占めていた中央の場所に鎮座しているのは、たいてい人間自身であると説明しました。また、完全な善である神に支配されるのではなく、不完全な人間に支配されることがいかに危険であるかを指摘しています。特に、脱クリスチャン化した欧米諸国は、無神論の行き着く先である相対主義やニヒリズムのブラックホールに魂を奪われる危険性があると警告しています。
米国ワシントンD.C.にて
米国ワシントンD.C.の無原罪の聖母バジリカでは、ウォルター・R・ロッシ師によって典礼が行われました。ロッシ師は、「十字架の道行」の歴史について説明し、それに関する愛読書(聖アルフォンサス・リグオリ著のもの)についても語っています。また、十字架の道行でよく歌われる14世紀の伝統的な聖歌「Stabat Mater」の2節(英語訳)を歌ってくれました。そして、聖母マリアの悲しみを例えとし、凶悪犯罪や戦争で子供を失った母親の悲しみに言及しています。そのうえで、聖母マリアは私たちを守ってくれる存在であることを強調しています。そして私たちが、最後までキリストに寄り添うことができるよう、聖母マリアに願い締めくくっています。
日本の東京にて
東京の聖マリア大聖堂で、菊池功大司教が、主の十字架を見出す主の受難日は、私たちの信仰の原点であると述べています。そして、私たちのために苦しんでくださった主の受難に、私たちの心を合わせることを話されていました。さらに、十字架のそばにとどまり、苦しみの先にある真の栄光と希望への道を見出した、聖母マリアに倣うよう励まされています。最後に、教皇のため、教会に仕えるすべての人のため、トルコ南東部の地震の犠牲者のため、医療関係者のため、戦争で苦しむすべての人々のために祈りをささげています。
ロザリオの悲しみの秘儀を祈る
私はロザリオを祈るとき、キリストの十字架上の死で終わる「悲しみの秘義」(通常火曜日と金曜日に祈る)は、昔から一番苦手です。主が残酷な扱いを受け、処刑されるまでのストーリーの「リアルさ」に、いやな気分になるからです。
そんな時は、「キリストは私たちを愛して死んでくださった、私たちに救いをもたらしてくださった」という思いに集中するようにしながら、ロザリオを祈り続けています。多少暴力的な映画などを見ても、嘘っぽく見え、平気なほうなので自分でも不思議に思います。もしかしたら、恐ろしくて嫌だと感じているのは、自分の罪の重さなのかもしれません。
私は自分の罪について、十分に意識できているのだろうかとよく考えます。キリストの片側で十字架につけられた「良い泥棒」のように、もう片側の泥棒に「私たちは自分の行いの報いを受けています」(ルカ23:41)と言うことができるのだろうか、と。主は、「自分の十字架を背負って、私についてきなさい 」と言われています。
私はキリストが、私の罪を赦し、自分の十字架を背負う勇気を与えてくださるよう、祈りたいと思います。
Image: Reproduction of painting Pieta of Villeneuve les Avignon. The author is probably Enguerrand Quarton. 15. century, Louvre, Paris.