喜びの日、主の復活祭、皆様に沢山の幸福がありますように!
四旬節が終わると、キリスト教徒にとって最も重要な祝祭日がやってきます。復活祭です。
聖なる三連休と復活祭の典礼は、私たちの主イエス・キリストの受難、十字架刑、死、そして復活を祝うものです。
神の神秘、復活
すべての典礼は重要ですが、復活祭は、そのなかでもキリスト教徒にとり特別です。私たちは、主イエス・キリストの復活による魂の救済を信じるからです。私は洗礼に備え、キリスト教を学び始めるまで、復活祭についてほとんど知りませんでした。おそらく、多くのキリスト教徒でない人々にとり(かつての私もそうでした)、イースターエッグとイースターバニーが登場する日に過ぎないでしょう。常識で考えると、起こるはずがない死んだ人間の復活。そんなことを信じられる人がいるのでしょうか
イエス・キリストが神であり、神が全能であると信じるなら、私たちの主イエスは、死んだ自分の肉体を生き返らせる奇跡を含め、どんな奇跡でも起こすことができるということになります。そして、教会は、まさにイエスがそれを行ったと教えています。十分な信仰を持つ者にとっては、その答えで十分です。しかし、ほとんどの人は、信仰には状況証拠の助けが必要なのではないでしょうか。
私も以前は、復活に対して懐疑的でした。イエスが十字架から降ろされた時、仮死状態であり、墓の中で意識を回復したのではないかと思っていたのです。けれどもそのようなことは、ほぼ不可能だと知りました。当時のローマ兵は、罪人の処刑方法を熟知しており、ローマ帝国の磔刑を生き延びるには、本当に奇跡が必要だったからです。
スパルタクスと6000人の仲間の運命
では、磔刑(たっけい)とは、一体どのような刑罰だったのでしょうか。磔刑は特に、ローマ政府に反抗しようとする、下層階級や奴隷を対象にした処刑方法でした。この処刑法は、ローマ市民には適用されませんでした。
よく知られている磔刑に処された人物に、スパルタクスと彼の6000人の仲間の話があります。
紀元前73年から71年にかて、奴隷階級であった剣闘士スパルタクスはローマ政府に対し、反乱を起こしました。(剣闘士は、当時ローマ社会の奴隷階級に属していました)しかし、反乱奴隷のスパルタクスとその仲間6000人は、ローマ軍に鎮圧されてしまいます。ローマ軍は、ローマとカプアの町を結ぶ道路沿いに、十字架の延々と続く列を作ると、この十字架にスパルタクスとその仲間6,000人を磔にしたのです。
磔刑が選ばれたのは、拷問と処刑が一体となったシンプルな装置だったからです。また、その方法が簡単なため、多数の犯罪者を一度に処刑する際に便利だったからです。
ローマ帝国は、すでにスパルタクスとその仲間6,000人を十字架にかけることに成功していました。イエスと他の2人の罪人を処刑することなど、簡単な作業だったでしょう。ローマ帝国の処刑で犯罪者が生き残ったという記録は、これまで発見されていません。最も可能性の高い理由は、誰も生き残らなかったからです。
十字架刑から生還することは可能だったのか
磔刑では、罪人が死ぬまで、兵士が十字架の前で見張りをしていました。通常、罪人が死ぬまで、2、3日かかると言われていました。ローマ軍が早く罪人を死に至らしたい場合、罪人の足を鉄の棍棒で折り、体を支えられなくし、窒息死させることもありました。
また、見せしめとして、罪人は通行人や民衆から見える場所で磔にされました。罪人が十字架になすすべもなくぶら下がっていると、ハゲワシやカラスが飛んできて、目玉をつつくこともあったと伝えられています。
ローマ法では、もし罪人が生き延びたり逃げたりすると、見張りの兵士が罪人の代わりに磔にされることが明記されていました。この法律により、兵士が任務を怠らないようにすることができたのです。
イエスの場合、十字架にかけられた後、わずか3時間後に亡くなりました。そのため、見張りの兵士は、イエスが本当に死んだかどうかを確認する必要がありました。死亡を確認するために、兵士はイエスの脇腹から心臓に槍を突き刺したのです。例えイエスが、鞭打ち、茨の冠、釘の傷による大量の出血を生き延びたとしても、心臓を貫く槍は、確実にイエスを殺したに違いありません。ヨハネは十字架のそばに立って、その一部始終を見ていました。ヨハネの福音書には、間違いなく心臓を貫かれたことが記されています。
槍で刺されたイエスの心臓
聖ヨハネは、兵士が主の脇腹を刺した時の様子を、以下のように描写しています。
「しかし、兵士の一人が槍で(イエスの)脇腹を刺したので、たちまち血と水が出た。それを見た者が証言している」(ヨハネ19:34-35)。
ここで私が疑問に思うのは、ヨハネが見た「水」とは何だったのか、ということです。ウィリアム・D・エドワード達による(William D. Edwards, MD; Wesley J. Gabel, MDiv; Floyd E. Hosmer, MS, AM)共同論文では、イエスの体から流れ出た水は、おそらく漿液性胸液(しょうえきせい きょうえき)と心嚢水(しんのうすい)だったとあります。 この論文はThe Journal of the American Medical Association.に掲載されています。
しかし、この論理が成り立つのは、イエスが右側から突き刺された場合のみとなります。福音書は、イエスが右側から刺されたのか、左側から刺されたのかについて、何もふれていません。しかし、興味深いのは、イエスと思われるトリノの聖骸布に描かれている人物は、右側から刺されているのです。
これは偶然の一致なのでしょうか。この布の不思議な事実は、ひとつだけではありません。トリノの聖骸布には、科学的に説明できない不思議な特徴がたくさんあるのです。
いずれにしろ、ローマの処刑が徹底していたことを考えると、ローマ兵が私たちの主イエスを処刑し損ねたとは考えられません。ローマ兵に拷問され、十字架にかけられたイエスが、死んだのではなく、ただ首をたれていただけだ、というような考えなどは検討にも値しません。
また復活祭で使徒たちが見たのは、復活した肉体ではなく幻覚や幽霊だった、使徒たちが復活の物語を捏造し大規模な詐欺を働いた、復活を説明するために作られた話だった、などの説が存在します。私はこれらの説も検証してみました。この記事で私の調べた結果を、すべて説明する時間はありませんが、簡単に言うと、他のすべての合理化された理論も精査に耐えられないということです。
知れば知るほど、主イエスの復活を疑うことは難しいからです。