LGBTイデオロギーとカトリック信仰

最近のアメリカでは、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のイデオロギーが強く支持され、賛美されています。それだけでなく、LGBT運動やウォーク・アジェンダ寛容派に、反する視点を持つことはタブーとされています。この運動の名称には長年にわたっていくつかの追加がなされ、現在では頭文字をとってLGBTQIAと呼ばれていますが、ここでは略してLGBTと表記します。

基本的に、この問題には2つの側面があります。寛容派は、LGBTを抑圧されたマイノリティとして感情的に同調し、個人や社会全体が神の愛を実践し、受け入れる方向に向かうべきだと主張します。それに対してもう一方は、人々を受け入れるか否かという観点ではなく、真理と偽りという観点でこの問題を捉えています。こちら側の主張は、魂の破壊につながるものは避けなければならないとします。トマス・アクィナスによって「相手の善を望むもの」と定義された愛の実践とし、どのような行動が破壊につながり、どのような行動が救いにつながるのかについて、人々が真実を理解するのを助けようと考えるからです。

LGBTプライド・マンスの始まりとは?

LGBTコミュニティを祝福する「プライド・マンス」の起源は、現在では 「ストーン・ウォールの暴動」あるいは 「ストーン・ウォールの反乱 」として知られている、ニューヨークでの一連の抗議活動です。この事件(あるいは一連の事件)に関する以下の記述は、ウィキから要約したものです。ゲイ・コミュニティの報告に基づいており、警察の証言は含まれていませんが、概ね正確であると考えられていました。

「ストーン・ウォール・イン」は、ジェノベーゼ犯罪一家と関係があり、露出度の多いゴーゴーダンサーがいたこともあり、たびたび警察の手入れをうけていました。警察の手入れは、犯罪を未然に防ぐ目的でしたが、そこに集うLGBTの人々に対する不当な扱いもありました。

1969年6月28日、ストーン・ウォール・インの夜は、いつもの夜ではありませんでした。その6日前、同性愛の権利に賛成していた女優ジュディ・ガーランドが亡くなり、常連客たちは感傷的な夜を過ごしていたからです。警察の手入れが始まったとき、彼らはジュディを偲んでストーンウォール・インに集まっていました。警察による度重なる手入れ、そして女優ジュディ・ガーランドの死が重なり、我慢の限界に達した彼らは警察官を攻撃し始めました。事態はたちまち暴動へと、エスカレートしてしまいます。その後の数日間さらなるエスカレートは、最終的には2,000人を超えるLGBTと、400人以上の警察官を巻き込んだ暴動へと発展したのでした。

1970年6月28日、暴動1周年を記念するパレードが開催されました。それ以来、6月はLGBTにとって記念すべき月となり、プライド・マンスが誕生したのです。

LGBTイデオロギーを支持した歴代アメリカ大統領

1999年6月、ビル・クリントン大統領はストーン・ウォール暴動にちなみ、6月をゲイ&レズビアン・プライド・マンスに指定しました。

2011年6月、バラク・オバマ大統領は、プライド・マンスが祝うカテゴリーに「バイセクシュアル」と「トランスジェンダー」を追加しました。

2012年、カトリック信徒であると公言しているジョー・バイデン副大統領(当時)は、カトリック・カテキズムを完全に無視した、同性婚を公に支持し始めました。それ以前、バイデンは上院議員として、一貫して同性婚に反対票を投じてきていたのです。けれどもLGBTのイデオロギー支持は、ビル・クリントンの時代から、民主党基本政策の主要な要素のひとつでした。つまり、民主党のバイデンが同性婚を支持したのは、政治的な理由によるものだと思われます。

イエスは「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)と言われました。バイデンは同性婚だけでなく、中絶の「権利」やトランスジェンダーの「ケア」(未成年者も含む性転換手術)も支持し、神よりも自分のキャリアを優先している、名目上のカトリックであることは明らかです。

道徳的問題への疑問

今年ワシントンD.C.で開催されたプライド・イベントは、6月10日にホワイトハウスで開催されたものも含め、多くの人々が参加しました。

米国では、自由にイベントを開催し、祝うことができます。(言うまでもなく、違法な、公的に許可されていないイベントを行うことはできません)つまり、LGBTがプライド・マンスを祝うことは、その行事に賛同する人々によって適切な方法で行われる限り、何の問題ないということになります。

しかし最近のプライド・パレードでは、通常ならわいせつ行為とみなされるような、過激なコスチュームを着た参加者もいました。子供に見せたくないようなパレードが、白昼堂々と行われたのです。

事件の背景にある問題

ChurchLaw & Taxというウェブサイトによると、合衆国憲法修正第1条は、信仰の自由と行動の自由という2つの概念を包含しており、信仰とは異なり、行いはコミュニティを守るために規制されることを述べています。

プライド・イベントの背後にある真の問題は、どのような活動、どのようなライフスタイルであったとしても、無宗派の(公式には無神論者でも世俗主義者でもない)米国政府が、大きな「誇り」をもって祝うべきである、としていることだといえます。

さらに政府主催のイベントにおいて、プライド・イベントでなければ容認できないような行動を容認する傾向がありました。プライド・パレードに参加している限り、何をやっても許されるという印象を受けます。パレードがあろうがなかろうが、最低限の公序良俗を守るよう要求するのは、理不尽な扱いなのでしょうか。上で述べたような行き過ぎた行為に対し、非差別的、合法的方法で対応することは不可能ではないはずだからです。

聖書は子供に有害?

LGBTイデオロギーの問題は、教会だけでなく、(最近では)学校にも影響を及ぼしています。LGBTイデオロギーを支持する本が、学校の図書館に置かれるようになり、その中には性的な内容が含まれた本もあります。

コロラド・パブリック・ラジオ(CPR)ニュースの6月29日付の記事によると、保守的な親たちは、LGBTQの本や性的な内容の本が、学校図書館に置かれることに抗議しているとのこです。これに反発をしたある保護者は、聖書には露骨で不適切な性的、暴力的内容が含まれている(と思われる)ため、学校図書館から聖書を取り除くべきだと要求しています。(以下CPR記事より)

「アメリカ図書館協会は、2022年に1,200件以上の異議申し立てを記録しており、20年以上前に図書館での検閲に関するデータを取り始めて以来、最も多い数となっている」

現在、アメリカの多くの州で、同様の問題が起きています。

ファティマの聖女ジャシンタは、永遠である教会の教えをないがしろにし、流行に従うことは危険だと警告しました。真理である聖書の教えと、移り変わる世俗的イデオロギーを教える書物を、あたかも同等であるかのように比較するのは大きな矛盾です。いずれにせよ、文化戦争が激化していることは間違いないといえます。

貞節と同性愛に関するカトリック・カテキズム

同性愛に関するカトリックの懸念は、新しいものではありません。近年、教会は常に教えてきたことを繰り返してきただけです。例えば1986年10月、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)は、ローマの司教団に宛てた書簡の中で、同性愛について次のように指摘しています。(Letter to the Bishops of the Catholic Church on the Pastoral Care of Homosexual Persons (vatican.va))

「今日、教会内でさえも、同性愛の状態をあたかも無秩序であるかのように受け入れ、同性愛活動を容認するよう、教会に大きな圧力をかける人々が増えている」

では、同性愛に関するカトリックの教義とは、一体どのようなものなのでしょうか。カトリック教会のカテキズムには次のように書かれています。(2357-2358項)

2357 同性愛とは、同性に対して排他的または優位的な性的魅力を感じる男性同士または女性同士の関係を指す。同性愛は、何世紀にもわたり、さまざまな文化の中で、実に多様な形をとってきた。その心理的な原因は、ほとんど解明されていない。同性愛行為を重大な堕落の行為とする聖書に基づき、伝統は常に「同性愛行為は本質的に無秩序である」*と宣言してきた。その行為は自然法に反している。彼らは性行為を生命の賜物に対して閉ざしている。真の情愛と性的均衡のとれた状態から生じるものではない。どのような状況においても、それらは承認され得ない。

2358 根深い同性愛の傾向を持つ男女の数は、無視できない数である。客観的には無秩序であるこの傾向は、彼らの多くにとって試練である。彼らは尊敬、思いやり、感受性(優しさ)をもって受け入れられなければならない。彼らに対する不当な差別の兆候はすべて避けなければならない。このような人々は、自分の人生において神のみこころを全うし、もし彼らがキリスト者であるならば、そのような状態から遭遇するかもしれない困難を、主の十字架の犠牲と一つにするよう召されているのである。

* 創世記 19:1-29、ローマ 1:24-27、1コリント6:10、1テモ 1:10.

** CDF, Persona humana 8.

自由と尊厳を守るために

同性愛の実践は、欲望(七つの大罪の一つ)の罪を犯す一つの方法に過ぎません。カテキズムは、他の多くの形態の欲望も扱っており、そのいくつかは、要約の部分で、次のように言及されています。(パラグラフ2396)

2396 貞操に著しく反する罪の中には、自慰、姦淫、ポルノグラフィー、同性愛の実践がある。

㊟カテキズムに関する日本語翻訳は、私が翻訳したものであり教会公式翻訳ではありません。教会公式日本語翻訳が私の手元にないため、英語版のカトリック・カテキズムから翻訳しています。

ラッツィンガー枢機卿は、同性愛の問題は複雑であり、神学的にバランスの取れた助言が必要であると説明しています。彼はさらに、性的能力の使用は夫婦間においてのみ良いものであることを明らかにしています。さらに、救いを妨げる誤った考えを教会が拒絶することは、個人の尊厳や自由を制限することではなく、むしろ自由と尊厳を守ることだと強調しています。(LGBTに対する真の司牧的アプローチは、罪を認め、セクシュアリティに関する真理を宣言しなければならない)

教会は、罪は罪であると教えることに非があるのか?

Jesus Preaching (1652) Rembrandt

「カトリック教会はLGBTを拒絶している 」と言い、さらに 「神は愛であり、私たちが互いに愛し合うことを望んでおられるのだから、私はすべての人を愛し、受け入れるよう努めている」と言う人がいます。そのような意見を持つ人は、LGBTを受け入れないのは、神の教えを実践しない嫌悪者である と指摘します。

そのような人々に、私はこのように答えます。「罪を罪と呼ぶことは、憎むことと同じではない。神はすべての罪人(言い換えればすべての人)を愛し、私たちにもそうするように命じておられる」と。

それだけではなく神は、罪を憎み、罪から救うことを望んでおられます。混乱を避けるために、神はどのようなことが罪であるかを、聖書、そして教会を通し、明確に教えておられます。聖書には「人には正しいと思われる道があるが、その終わりは死に至る道である」(箴言14:12)とあります。神がこのようなことをしたのは、(神が意地悪なのではなく)、罪が不幸につながるからであり、神は私たちが幸せになることを望んでおられるからです。

教会が 「人々を拒絶している 」とされる理由については、次のように説明されます。カトリック教会はすべての信徒に、カトリックのカテキズムと道徳に忠実であることを求めます。言い換えれば、教会の教えを信じ、それを実践する意志のある人は誰でも教会に入ることができます。たとえ信徒が正しく信じ、実践していなくても、悔い改めて赦され、生活を改めれば、立派なカトリック信徒であり続けることができます。教会は罪を拒絶するのであって、人を拒絶するのではありません。

教会の教えを信じないなら、教会に入らなければよいだけです。けれども、教会の教えを信じる人々を「憎しみを抱く者」と定義し、非難するのは、正直でも公正でもありません。

LGBTQIA+プライド・ミサに反対するアンナ=ケイト・ハウエル

文化戦争の一環であるLGBTイデオロギーは、すでにカトリック教会にも浸透しています。例えば、6月14日には、ジョー・バイデン大統領の教会でもある、イエズス会運営のホーリィ・トリニティ教会で第3回LGBTQIA+プライド・ミサが行われました。このミサの反対派は、カトリック教義に反していないか明らかでない点について指摘しています。(Catholic With Same-Sex Attraction Calls on Cdl. Gregory to Cancel DC ‘Pride Mass’ – LifeSite

ミサに反対したSSA(同性に魅力を感じる)で、回心したアンナ=ケイト・ハウエルは、31歳の神学修士を目指している学生です。彼女は過去に、性的に乱れた罪深い生活を送り、26歳の時には同性婚もしたと告白しています。以下は、アンナがホーリィ・トリニティ教会の教区長である、ワシントンD.C.のグレゴリー枢機卿に送った手紙の要点となります。

アンナの手紙

LGBTQは私たちのアイデンティティではない。私たちは同性に惹かれることを経験しているのであり、罪の名前(プライド)で呼ばれることを好まない。それは高慢の罪である。

カトリック教会の教えを明確にすることは、これまで以上に重要である。教会内に曖昧さを悪用し、武器として利用する人々がいることが懸念されるからだ。

私たちは罪への衝動(同性へ魅力を感じる)を祝っておらず、教会外の人を誤解させたくない。

「だがプライドに参加したからといって、私たちが行進するすべての人、すべての山車、すべてのメッセージに同意することにはならない」と言われるかもしれない。しかし、プランド・ペアレントフッドに、多額の寄付をするカトリック教徒についても同じことが言える。どちらの主張も馬鹿げている。プランド・ペアレントフッドが主に中絶手術を行うために存在するのと同様に、「プライド・マンス」が主に性的な罪を祝うためのものであることは誰もが知っている。カトリック信者が、どちらかを支持することは恥ずべきことである。

グレゴリウス枢機卿、私はカトリック信徒として、あなたが、私が出会うすべての人の最善を想定することが私の希望である。その慈愛の精神に基づき、私はあなたが混乱を招き、信徒と信徒ではない人々を同様に(教会に対し)恥ずべきことに陥れ、同性に惹かれる人に対する教会の証しを、害することを望む人物ではないと信じることにしている。

私のような者に、尊敬と優しさをもって寄り添うというのが、あなたの願いであると信じている。あなたは、私たちが全能の神によって尊厳を与えられた人間であることを、決して忘れたくないと信じる。私たちが苦しむかもしれない、いかなる乱れた気質をも、超越する尊厳を持った存在であることを決して忘れないというのが、あなたの願いであると信じている。これらのことがあなたに真実であると信じ、私はキリストにある姉妹として、どうかプライド・ミサを止めてくださいと心から願っているのである。……この行事が行われることは、何の益もなく、大きな害をもたらすだろう。

最後に、アンナは神の祝福を祈る言葉で手紙を締めくくっています。

十字架を背負い私に従いなさい

イエスは弟子たちに「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ16:24)と説きました。これは簡単なことではありません。アンナが経験した苦しみは、並大抵のものではなかったに違いありません。私はアンナの手紙に、自分の十字架を背負う覚悟した人にある特別な強さと説得力を見出します。

D.C.のグレゴリー枢機卿はミサの中止を命じたませんでした。しかし私は、彼女の手紙が私や他の多くのカトリック信者に、信仰を守り続ける勇気を与えてくれたと確信しています。

枢機卿が教区の司祭や信者の良き模範となり、何が正しいのかを明確に示し、魂の死にいたることがないよう導いてくださることを祈ります。

Image: An ancient painting of a greek tomb inside the archaeological museum of paestum in italy

聖ジャンヌ・ダルク: 悲劇への序曲(2)

私が信頼していた親友、
私のパンを食べたかれでさえ、私に向かってかかとを上げた。

-詩篇41:9(ドン・ボスコ社)

民衆はジャンヌを崇拝し、彼女がもたらした勝利と平和に酔いしれていました。そのような熱狂的な民衆とは対照的に、フランスの貴族や軍司令官の中にはジョアンに嫉妬を抱く者たちがいました。詩篇41篇10節にあるように、ジャンヌの本当の敵は味方の中にいたのです。

赤いドレスの贈り物と予知

ランスに向かう途中、シャロンの近くで、ジャンヌはドムレミ村からやってきた友人たちと会いました。彼らとつかの間の楽しい時間を過ごしたジャンヌは、赤いドレスを贈られました。そこでジャンヌは、彼女を待ち受ける悲劇的な運命を予感させるような言葉を口にしています。彼女は二人の旧友に、将来への唯一の不安は裏切りであることを告げたのです。(Gower, Ronald Sutherland, Lord, Joan of Arc. 1893.)

ジャンヌはただ単に、自分の運命についての漠然とした不安を、古い友に語っただけなのでしょうか。それとも、神から何らかの警告を受けていたのでしょうか?偶然かもしれませんが、彼女が友人から送られたドレスの赤は、殉教者の典礼色です。神の導きに最後まで従い、火刑に処された彼女の死を象徴していたかのようです。
いずれにしろ、この小さなエピソードは、コンピエーニュで起こる悲劇を予知していたのです。

1429年7月17日:王の戴冠式-神の預言の成就

ジャンヌが王に告げた、神の意志は成就されました。シャルル7世はついに、国王に即位したのです。

王はオルレアンの乙女を右手に従え、ランス大聖堂に入りました。王太子はサン=レミーの古い修道院教会の聖油で油を注がれ、フランス王となったのです。ジャンヌは戴冠式の間、旗をもち、王のそばに立っていたと言われています。

IV. Le sacre de Charles VII: V. “Te deum”

戴冠式において、王のそばで旗をもつことは伝統的マナーではありませんでした。王がこの慣例に反することを許可したことは、ジャンヌの功績に感謝していることを明らかにしています。

ジャンヌは戴冠式が終わると、ひざまずき、王の足を抱きしめると、以下のように告げたことが知られています。

「気高い王よ、今こそ神のご意思が成就しました。神は、私がオルレアンの包囲を解き、あなたをこのランスの町にお連れし、聖なる戴冠式をお受けになることで、あなたが真の王であり、フランスの王位を受け継ぐ者であることをお示しになっているのです」

この言葉を聞いて、(国王を除く)その場に居合わせたすべての人々が涙を流したと言われています。ジャンヌの言葉から、彼女には傲慢さがなく、王の栄光を自分の手柄にしようとしなかったことが理解できます。

ジャンヌの願った永遠の安息の地

「私が死んだら、この善良で敬虔な人々の中に埋葬されたいのです」と彼女は言った。「でも、神様が私を故郷に、妹や弟たちのもとに帰らせてくださるなら、どんなに嬉しいことでしょう!とにかく、私は救い主に命じられたことをしたのです」( Gower, Ronald Sutherland, Lord, Joan of Arc. 1893.)

戴冠式は成功しました。そのような華やな式典にもかかわらず、なぜか彼女は、自分の将来を、予感していたかのような言葉を大司教に残しています。

ジャンヌは自分の死と埋葬について話していました。このとき、彼女はまだ10代です。そのような年齢で、自分が死んだらどこに埋葬されるかを気にしていたのは不自然に思えます。彼女は続けて、神から託された使命を果たしたことを明らかにしています。

シャルル7世はジャンヌの功績をたたえ、彼女とその家族を貴族にし、紋章と金銭的報酬を与えました。ジェレミー・アダムス博士によれば、戴冠式の後、国王はジャンヌの仕事は完遂されたと宣言し、田舎に戻るよう求めたそうです。使命を果たした彼女は、生まれ故郷のドムレミ村に戻り、そこで修道女として神に仕えながら静かに暮らすこともできたでしょう。しかし実際には、彼女は別の道を選んだのです。

1430年4月: パリ奪還の失敗

ジャンヌは、フランスの未来の安全を維持するために、パリを奪還しなければならないと考えていました。ところが、パリの人々はすでにイギリスのヘンリー6世に忠誠を誓っていました。そのため民衆は、フランス王がパリを支配すると報復を受けるのではないかと恐れ、城壁都市パリの守りを固めていたのです。

残念ながら、ジャンヌの兵力はパリのような、強固な城壁と塔を持つ場所を攻撃するには不十分でした。優柔不断なシャルル7世がようやく兵を増派し、ジャンヌは攻撃を開始しますが、パリを奪還することはできなかったのです。

この時、ジャンヌはクロスボウの矢で、大腿部に深い傷を負いましたが、戦場に残りつづけていました。結局、彼女の意に反し、退却せざるを得ませんでしたが、攻撃を続けていれば勝利していたに違いないと抗議していたそうです。

二人の敵-いつわりの口、いつわりの右手

7.上から、み手をのべ、

大水から、罪深い剣から、私を救い出されよ。

異邦の子らの手から、私を解かれよ。

8.かれらの口は、いつわりを語り、

その右手は、いつわりの誓い。

-詩編14:7-8(ドン・ボスコ社)

ジャンヌのパリ奪還の失敗は、味方のふりをした敵を喜ばせました。特に二人の敵、ランス大司教とジョルジュ・ド・ラ・トレモアイユ(1382年頃~1446年5月6日)は、すべての責任をジャンヌに押し付けるよう王に働きかけました。その結果、国王はランス大司教に、ジャンヌの意向に反してイングランドと停戦協定を結ぶことを許可したのです。

レニョー・ド・シャルトル(Regnault de Chartres 1380-1444)

ランスの大司教レニョー・ド・シャルトルは、ジャヌから戴冠式の時に、不吉な予感を感じさせる言葉を聞いた人物です。ジャンヌは、まさか彼が敵である、とは思わなかったはずです。

彼女から埋葬場所の願いを聞いた大司教は、どのように答えたのでしょうか。誰も知りません。しかし大司教はジャンヌが捕らえられた時に、神の正義の証明である、と大喜びとしたといわれています。ジャンヌ捕縛の知らせを、ランス市民に伝えたのは彼ですが、ジャンヌは高慢であり、神よりも自分の意志に従おうとしたことで神の怒りをかったと伝えています。

ジョルジュ・ド・ラ・トレモアイユ(Georges de La Trémoille 1382-1446)

ジャンヌのもう一人の宿敵は、ジョルジュ・ド・ラ・トレモアイユという貴族です。彼はジャンヌの忠実な騎士で、後に殺人犯として知られるようになったジル・ド・レと遠縁の関係にあります。ラ・トレモアイユはその抜け目のなさから、シャルル7世に大きな影響を与えた人物でした。彼の残酷性は、彼の金銭的利益と地位のため、シャルル7世の寵愛を受けていたピエール・ド・ジャックを誘拐し、溺死させたことからも理解できます。

彼は国王をランスに行かせないために、あらゆる手を尽くしました。また、さまざまな場面でジャンヌを妨害し、彼女が再びパリを攻撃しようとしたときにも阻止しています。後にジャンヌが捕われた時、王が釈放を得られなかったのも、彼の影響力だと言われています。

声がつげたジャンヌの暗い運命

ジャンヌの声はもはやかつてのように、明確な命令を与えることありませんでしたが、彼女はフランスを救うために戦い続けていました。

1430年4月初旬、復活祭の週にムランの町にいたジャンヌに、聖カタリナと聖マルガリタが、語りかけました。彼らはジャンヌに、聖ヨハネの日(6月24日)の前に捕虜になるが恐れるなと告げています。彼女は聖人たちに、捕虜になったらすぐに死ねるようにと願ったと伝えられています。(The Battle of Jargeau 12 Jun 1429 (jeanne-darc.info)

この出来事があった後に、ジャンヌはラニーの戦いに赴きます。捕虜になるかもしれない、という恐怖さえ、フランスを救うという彼女の燃えるような心を変えることはなかったのです。(.Joan of Arc | Biography, Death, Accomplishments, & Facts | Britannica

1430年4月 ラニー=スル=マルヌの戦い: 斬首された男

イギリス側のブルゴーニュ軍は、パリの防衛を強化するため、アラスに大軍を集結させていました。ブルゴーニュの軍隊は、アラスのフランケに率いられ、ラニーに向かっていました。けれども、彼らはラニーに向かう途中、別の都市を略奪しています。その結果、その知らせを受けたフランス軍は、彼らが向かってくることを知り、戦いに備えることができたのです。

ラニーにいた兵士たち、フランス軍の援軍、そしてジャンヌたちの努力のおかげで、アラスのフランケは捕らえられ、彼の部下たちは殺されるか捕虜となりました。フランケはその後、ジャンヌが欲しがっていた捕虜と交換されるはずでしたが、その捕虜はすでに死んでいたことが判明します。さらに、アラスのフランケは略奪だけでなく、殺人の罪も犯していたことが裁判で明らかになりました。彼をどうするかと問われたジャンヌは、部下たちに「正義が求めるままに、この男をしなさい」と告げたと言われています。(The Battle of Jargeau 12 Jun 1429 (jeanne-darc.info)

人の罪を憐れむ神の愛

ジャンヌは、正義が求める罰について、具体的なことは述べてません。フランケの刑罰は、斬首でした。後にフランケの斬首は、ジャンヌの運命を決定付ける要因となってしまいます。異端審問は、ジャンヌがフランケ斬首の責任があるとし、それが彼女の火刑の理由の一つとなったからです。

フランケの処刑は、正当だったのでしょうか。フランケは陪審員によって裁かれ、殺人罪で有罪となりました。他方、捕虜として、彼にはいくつかの権利が与えられていました。その中には、彼の属する領土で、裁きを受ける権利の可能性も含まれていました。しかし、この権利については、当時明確ではなかったのです。

聖書には、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ5:8)とあります。

神の目から見て、ジャンヌがフランケの斬首に対して、どれほどの責任を負っていたかはわかりません。けれども、キリストが私たち罪人を憐れんでくださったように、彼女がフランケを憐れんでいたなら、フランケにも生き延びるチャンスがあったのかもしれません。

1430年5月23日 :コンピエーニュ包囲戦で捕らえられたジャンヌ

The Capture of Joan of Arc, ca. 1850 by Adolphe Alexandre Dillens

ジャンヌ最後の戦いは、聖霊降臨祭の日のコンピエーニュ包囲戦でした。理論的には、聖霊降臨祭のような大祭、そして日曜日に戦闘を行うことは「神の平和と休戦」によって禁じられていました。しかし、すでに15世紀には、「神の平和と休戦」は、ほとんど無視されるようになっていたのです。(このテーマを調べているうちに、15世紀半ばには、すでに世俗主義の精神が、これほどまでに広まっていたことを知り、驚いたことを付け加えておきます)おそらくジャンヌは、聖霊降臨の祭日でも、軍を戦わせるつもりだったのかもしれません。もしくは兵士がどうしても、戦うと主張したのかもしれません。ジャンヌがなぜ、この日に戦いに行くことを決意したのか、私たちに知るすべはありません。

ともあれ、ジャンヌは500〜600騎の騎兵と歩兵を率いて、ブルゴーニュ公を攻撃しました。戦いの最中、ジャンヌは弓兵に馬から引きずり降ろされ、ブルゴーニュ軍の捕虜となってしまいます。イギリスとブルゴーニュは、500人の兵士を捕らえたことよりも、ジャンヌを捕らえたことを喜んだと言われています。( The campaigns of Joan of Arc, according to the Chronicles of Enguerrand de Monstrelet (deremilitari.org))

イギリスに売られたジャンヌ

捕らえられたジャンヌは、ジャン2世・ド・リュクサンブール(1392-1441)の後見人の下に置かれました。リュクサンブールのドゥモワゼル(未婚女性)と知られた、彼の叔母(ジャンヌ・ド・リュクサンブール)は、ジャンヌに同情的で、彼女をイギリスに売ることに反対していました。

彼女がジャンヌに同情的だったのは、ジャンヌ同様、彼女も非常に敬虔だったからと思われます。ジャンヌにとり不幸だったのは、1430年、ドゥモワゼルはアビニョンへ、弟の墓詣に行き、同地で死去してしまったことです。

ドゥモワゼルの弟ピエール・ド・リュクサンブールは、1387年に亡くなるまでアヴィニョンの枢機卿を務めており、聖人と見なす人もいました。1527年、ピエール・ド・リュクサンブールは、教皇クレメンス7世によって列福されています。

伯母の死後、相続の心配がなくなったジャン2世は、身代金と引き換えにジャンヌをイギリスに売り渡しました。伯母の遺言である、ジャンヌを売り渡さないことを条件にした財産贈与の条件を無視したのです。こうしてジャン2世は、莫大な財産を手にしましたが、翌年、あっけなく亡くなっています。

ジャンヌは、国王シャルル7世の戴冠式まで、次々と幸運に恵まれ成功してきました。ですがその後の彼女の人生には、暗い影が落とされました。ジャンヌは幾度も、自由になるべきチャンスがありながら、何度も何度も裏切られたのです。

Image: Joan in Reims Cathedral by Jules-Eugène Lenepveu

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イエスの聖心の祝日

聖心の祝日おめでとうございます。

イエスの聖心の祝日は、聖体の祝日の次の金曜日に祝われます。

イエスの聖心の祝日は、17世紀にフランスの幻視者であり修道女であった聖マルガリタ・マリア・アラコクが、神の啓示を受けたことからはじまっています。2000年の教会の歴史の中では比較的新しい祝日ですが、バチカンによるいくつかの承認を経て、現在では教会の暦の中で最も大切な祝日のひとつとされています。

イエスの聖心:肉と霊

カトリック聖務日課集は、カトリックの祈り、詩編、朗読(聖書など)そしてカトリックの祝日や典礼に従って編集されている本です。聖務日課集は、西方教会のすべての司祭・修道女が伝統的に毎日使用しているものでした。(もちろん、ラテン語で書かれています。)その伝統的聖務日課集を、原文のラテン語から美しい英語に翻訳され、ある典礼財団から「聖務日課集-英語版㊟」として英国教会が出版しています。そしてイエスの聖心について、カトリック神学に基づいた説明が加えられ、大変わかりやすい解説が書かれています。以下は、その解説の概要となります。㊟ バチカンによっての承認はありません。

イエスの聖心はいつはじまったのか?-カトリック聖務日課集より


イエスの聖心への献身がいつ始まったかについての記録はありませんが、それが古い伝統であることは間違いありません。この献身は、初代教会ですでに(少なくとも、赤子のような状態で)存在したことは明らかです。以下は、聖務日課集の簡単な要約になります。

例えば神(イエス)の愛についてですが、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)あります。三位一体の概念があるため、神の愛はイエスの愛でもあります。

またパウロの手紙は、神の愛と慈悲にふれています。

8しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 (ローマ人への手紙5:8)

聖マルガリタ・マリアに現れたイエスの姿は、受難をうけ傷ついたイエスのこころと姿も象徴しています。このイエスの受難とイエスの受けた傷についての信心も、初期教会時代にはじまっています。

イエスの愛だけでなく、イエスの受難の傷も、初代教会では黙想と献身の対象となり始めていました。パウロの手紙には、以下のように書かれています。

7これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。(ガラテヤ6:17)

「イエスの焼き印」とありますが、これは伝統的に聖痕のことだと解釈されています。

4世紀の聖人、聖アウグスティヌス聖ヨハネ・クリソストモス(金口イオアン)は、十字架にかけられたキリストとアダムを比較しています。アダムが眠り、脇腹からエバがとられたように、十字架にかけられたキリストは死の間「眠り」ながら、槍で脇を貫かれ、血と水が流れ出し、教会を誕生させたと説明しています。

イエスの聖心についての解説

私たちの主は、「わたしは心の柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい㊟」(マタイ11:29)(ドン・ボスコ社訳)と教えています。イエスの言葉のなかで「心」が使われていることから、イエスの聖心という概念は、イエスの時代にすでに存在していたと理解できます。

㊟新共同訳には「心」という言葉は入っていません。英語訳には “I am humble and gentle at heart”とあるようにHeart(心臓、心)の言葉が使われています。

聖書の言葉において、心臓は感情だけでなく、人間の内面や精神生活全体を象徴しています。ですから、イエスの心臓は、イエスの愛、慈しみ、知恵なども象徴しています。けれども、イエスの聖心は単なる象徴にとどまりません。

キリスト教信仰の基盤

キリスト教の信仰の基盤とは、紀元1世紀が始まる少し前、永遠の言葉である神が、肉体を持った人間になったということです。その人間は「イエス」と名付けられ、神であると同時に人であるからです。イエスの人間性を崇拝することは、神であるイエスの神性を崇拝することであり、両者は密接に結ばれています。言い換えるとイエスの聖心祭は、イエスの肉体、つまりイエスの体中に血液を送り出す心臓そのものを賛美し、礼拝することによって、神を賛美する日なのです。(ここまでが聖務日課集の要約となります)

キリスト教の興味深い部分は、霊である神を礼拝するだけではなく、イエス・キリストの肉体も礼拝することです。私の知る限り、一神教を主張しながらも、実際の肉体である心臓を崇拝の対象とする宗教はキリスト教だけです。イエスの聖心は、人間には理解しがたい三位一体と深く関わる、神の神秘に満ちた祝祭なのです。

余談ですが、上記の「心臓」という言葉は、ギリシャ語でもヘブライ語でも、肉体の心臓を指します。さらに、肉体の心臓であるイエスの聖心礼拝をより深く理解するためには、父、子、聖霊の三位一体を知る必要があります。三位一体については、私には説明できませんので、ここでは割愛します。興味のある方は、小教区の司祭にお尋ねください。

イエスの聖心と12の約束

Chanted Litany of the Sacred Heart of Jesus in Latin | Litaniae Sacri Cordis Iesu (English Captions)

イエスは聖マルガリタ・マリア・アラコクに、イエスの聖心を信じる者に12の約束をされています。イエスの聖心への帰依を広めた聖マルガリタ・マリアは、聖刻を制定し、毎月第一金曜日に、地面にひれ伏して祈り、キリストの悲しみをわかちあいその日のうちに聖体拝領を行っていたと言われています。聖マルガリタ・マリアが第一金曜日に聖体拝領したように、イエスの聖心の信心は、9ヶ月連続で、毎月第一金曜日のミサに参加することです。以下は、前の述べた12の約束となります。(英語訳から、できるだけ英語のもつニュアンスで、翻訳したものです。教会公式翻訳を知りたい方は、こちらのいつくしみセンター公式センターをご覧ください

  1. わたしは彼らの人生に必要なすべての恵みをあたえる。
  2. わたしは彼らの家族に平和を与える。
  3. わたしは彼らのすべての悩みを慰める。
  4. 彼らはわたしの心の中に、生きている間も、特に死の間際で、確かな避難所を見出すであろう。
  5. わたしは、彼らがしているすべての活動に豊かな祝福を注ぐ。
  6. 罪人は私の心の中に、慈悲の(泉の)源と慈悲の無限の海を見出すであろう。
  7. 生ぬるい魂はあつくなる。
  8. 熱心な魂は、速やかに偉大な完成に至るであろう。
  9. 私は、私の聖心の姿が目にみえるところに掲げられ、尊ばれる家庭を祝福する。
  10. 私は司祭に、最も硬い心に触れる力を与える。
  11. この献身を広める者は、私の心にその名が記され、決して消えることはない。
  12. 連続して9ヶ月、最初の金曜日に聖体拝領するすべての者に、私の心の全能の愛は、彼らに最後の痛恨の恵みを与える。彼らは私の機嫌をそこない、秘跡を受けずに死ぬことはない。私の心は、最後の時に彼らの確実な避難場所となる。

12 Promises from the Sacred Heart of Jesus (catholicexchange.com) 

イエスの聖心に信心したJFKにあたえられた神の慈悲

アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は、その悲劇的な死で有名です。しかし、彼の死に際にイエスの聖心の慈悲があったことは、ほとんど知られていないのではないでしょうか。ジョン・F・ケネディはカトリックの初代大統領ですが、スキャンダラスな彼の私生活知ると明らかなように、それほど敬虔なカトリック信者ではありませんでした。しかし、彼がまだ若かった頃、彼の母親は、イエスの聖心の献身である「9回の初金曜日の献身」の信心を行うようにさせていたと言われています。(12 Promises of the Sacred Heart of Jesus: Peace in Home and Life – YouTube)

1963年11月22日、ケネディ大統領が狙撃されました。彼は大急ぎで、近くの病院に運ばれました。そのケネディが運ばれた病院では、偶然にも、司祭が他の患者を見舞うためにいたのです。その司祭が偶然居合わせたことで、司祭は、瀕死のケネディに最後の秘跡を授けることができたのです。 (Could We Save JFK Today? | MedPage Today)

ケネディが病院に運ばれたとき、「大統領は無反応で、ゆっくりとした死戦期呼吸(心配停止直後にみられることがある呼吸)があり、触知できる脈や血圧もなかった」(Could We Save JFK Today? | MedPage Today)とあります。魂が肉体を離れるタイミングは、誰にも正確にはわかりません。しかし、私は、ケネディの魂はまだ肉体の中にあり、不思議な偶然によってイエスの聖心が約束した、最後の秘跡を受けることができたのではと思います。このような話を知るたびに、マザーTが書き留めた 「人の目には偶然でも、神の目には必然である 」という言葉を思い出します。

聖マルガリタ・マリア・アラコク:聖体のパンの中に隠されたイエス

 聖マルガリタ・マリアは、イエスの聖心を含む聖体パンを拝領することの重要性を強調しています。

「イエスは聖体の秘跡の中に見出されます。その秘跡の中で、イエスは愛によって生贄のように縛られ、父の栄光と私たちの救いのために常に犠牲となる用意ができているのです。イエスの生涯は、この世の目から完全に隠されているのです。彼らの目は、パンとぶどう酒の貧しく目立たない姿だけを見ることしかできないのです。イエスはつねに、祝福をされた聖体のなかに一人でおられます。私たちの敵である悪魔に大きな喜びを与えないよう、聖体パンの拝領をする機会を逃すことなく聖体拝領を行うようにしてください」-   聖マルガリタ・マリア・アラコク (See: MIRACLES-Mystics panels (santuariodesanjose.com))

聖体パンは、イエスの聖心を抜きにして語ることはできません。聖体パンはイエスの御身であり、心臓はその体の中心的で不可欠な部分であるからです。心臓がなければ、身体は生きることも、身体として機能することもできません。

6月には、多くの神秘的な祝祭日があります。聖体パンの祝日と聖心の祭日は、その中でも特に重要なものです。これらの祝祭日を祝うたびに、私はカトリック教徒であることをとても幸せに感じています。

Image: Two Angels with the Sacred Heart in Stained Glass

Source: The Anglican Breviary, Containing the Divine Office According to the General Usages of the Western Church, Put into English in Accordance with the Book of Common Prayer. New York, Frank Gavin Liturgical Foundation, Inc. 1955.

ご聖体の祝日:主イエス・キリストの至聖なる御身と御血

ご聖体の祝日おめでとうございます。

カトリックでは、今日(聖霊降臨後第2日曜日)は、主キリストの御身と御血であるご聖体(聖体パン)を祝う日です。私たちの地元の司祭の聖体降臨祭の説教の中では、カトリックとプロテスタントの主流派との間には、「教皇」と「ご聖体」という二つの大きな違いがあると指摘しています。私たちカトリックは、教皇は神が創った唯一無二の教会における、キリストの代理人であり、司祭によって聖別されたご聖体はイエスの御身であると信じているからです。

神からの啓示ではじまった聖体の祝日

リエージュのユリアナ(1192年頃-1258年4月)は、13世紀の修道女であり、神秘主義者でした。ユリアナは孤児で、5歳のころに修道院に預けられます。修道院での生活は、ユリアナにご聖体に対する特別な畏敬の念を、抱かせるようになります。

1208年、修道女ユリアナにイエスが現れ、ご聖体を祝うための新しい典礼の祝日を、請願するよう告げます。しかしユリアナは、その幻視をすぐには長上には打ち明けず秘密にしていました。その後20年間、同じ幻視が続き、彼女の告解を聞いた司祭によって、ようやくリエージュの司教に伝えられることとなります。ユリアナ自身もドミニコ会と司教に、ご聖体の祝日を願い手紙を送りました

1246年、ユリアナの手紙を受け取った司教は、リエージュの教区でご聖体の祝日を制定しました。同教区のジャック・パンタレオン助司祭は、この新しい祝祭を非常に感動的なものと感じ、正式な教会暦に加えることは極めて大切である、と考えました。

1264年、ジャック・パンタレオン助司祭はローマ教皇ウルバヌス4世(c. 1195 – 2 October 1264) となり、同年、ご聖体祝日の日を全教会の祝日として制定したのです。

ご聖体の祝日の典礼の作者:聖トマス・アクィナス(1225-1274)

ご聖体の祝日が制定されたとき、ウルバヌス4世はトマス・アクィナスに、新しい祝日の祈りとミサ典礼の作成を依頼しました。トマス・アクィナスが、この日のために書いた賛美歌のひとつ「アドロ・テ・デボーテ」には、メロディが与えられ、今日までご聖体の祝日のミサで歌い続けられています。

Adoro Te Devote, Sisters of Aquinas -Sisters of Aquinas

アドロ・テ・デボーテ(Adoro Te Devote)

パンとぶどう酒の形態のもとに隠れておられる神よ、謹んで御身を礼拝いたします。

御身を見つめながらも全く見通す力のない私は、心のすべてを委ねます。

今ここに、見るところ、触れるところ、味わうところでは、御身を認めることができません。ただ聞くところによってのみ確信します。

神の御子の言われたことは、何事であれ信じます。この真理の言葉にまさるまものは、世にないからです。

十字架上では神の本性だけが隠れていましたが、ここではその人性も隠されています。

主にある二つの本性を信じ、それを宣言し、悔い改めた盗賊の乞い願ったことを私もお願いします。

私はトマのように御傷を見なくても、御身が私の主であることを宣言します。

どうか、私がますます深く御身を信じ、御身に希望し、御身を愛することができますように。

主のご死去の記念として、人に命を与える生きたパン。

私の心を御身によって生かし、甘美な御身を常に味わわせてください。

優しいペリカン、主イエス、どうか、汚れた私を、御血をもって清めてください。

御血の一滴だけで、世のすべての罪を償うことのできる御方。

今は隠れていますイエス、乾き望むものをお与えください。

覆いを取られた御身の顔を見出し、御身の栄光を目にする幸いな者となりますように。アーメン。

St. Thomas Aquinas.  (出典:使徒聖ヨハネカトリック小金井教会)

ご聖体パンの神秘:実体変化

聖書の中で、イエスは「いのちのパン」であるご聖体について、ご自分の体と血であると語っています。使徒たちにとって、イエスの言葉は最初は理解しがたいものでした。そして復活後に初めて、イエスの言葉の意味を知ったのです。

ご聖体がキリストの御身(体)になる、と信じるのはカトリック教会と東方正教会の教えです。けれども、東方正教会の教えでは神の神秘は理解できない、とされています。では、西方教会、すなわちカトリック教会の教えでは、ご聖体の神秘はどのように説明されているのでしょうか。

イエスの御身であるご聖体

26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 (マタイ26:26)

カトリック教会の教えでは、ミサで司祭が「これは私の体である」とキリストの言葉を語るとき、司祭の言葉を通して語っているのは、言葉であるキリストです。司祭が語ったその瞬間、神の言葉は司祭を通し実現されます。そして祭壇のパンはイエス・キリストの御身、御血、霊魂、神性になると信じられています。

この神秘は、神学者たちによって、議論されてきました。そして、アリストテレス哲学を用いて、「実体変化」と定義されてきました。この「実体変化」を理解するためには、アリストテレス的な 「実体」と 「偶性」というカテゴリーで考える必要があります。簡単に言うと、「実体」 はあるものが何であるかを示す名詞で、「偶性」はそのものを形容する形容詞となります。

祭壇のパンの場合、聖別前のパンは「薄く、白く、丸い、パン風味のパン」であると言えます。この場合の実体は名詞の「パン」であり、偶性は形容詞の「薄い、白い、丸い、パン風味」、その他パンを表現するのに使われる、あらゆる形容詞となります。実体変化とは、実体が変化することであり、偶性は変化しないということです。ですから、聖別後のパンは、「薄く、白く、丸く、パン風味のキリストの体 」となるのです。

この実体変化という神秘のおかげで、私たちがミサで口にするご聖体は、血のついた肉片ではない、ということになります。

命のパンで決して飢えない

35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35)

キリスト教についてほとんど知らなかった私が、数ある教派の中でカトリックに強く惹かれたのは、カトリックの秘跡の一つである「ご聖体」でした。カトリック教会でご聖体拝領を受ける信者の姿を見て、ご聖体を受けたいと思うようになったからです。けれども洗礼を受けるために教会の聖書講座に通い始め、洗礼の準備に数ヶ月かかると知り、本当にがっかりしました。お腹が空いているのに、食べ物がないまま放置されたような気分になったからです。その後、洗礼を受け、ご聖体をさずかり、身も心も不思議と満たされたような気がしました。

それ以来、洗礼前のような飢えを感じることはなくなりましたが、パンデミックの時、教会が一般信徒のためのミサを祝わなくなり、以前感じていたような飢えを感じるようになりました。正直なところ、オンラインミサは、実際のミサに参加するより楽で喜んでいました。しかし、その時、言葉で説明するのが難しい飢えが戻ってきたのです。ご聖体の神秘に対する私の信仰は、当初は深いものではありませんでしたが、精神的な飢えを感じるようになったとき、ご聖体が私の心身をどれほど満たしてくれていたかを初めて実感したのです。

大切なご聖体を拝領するために

カトリックでは、ミサと聖体の重要性を強調しています。

聖 ピオは、「ミサがないよりは、太陽がない方が世界が存在しやすい 」と言うほど、ミサと聖餐式を愛していました。パドレ・ピオの例は、ご聖体がいかに重要であるかを示しています。数多くのカトリックの著者であるボブ・ロードとペニー・ロードはパドレ・ピオについて以下のように書いています。

「ピオ神父は…ご聖体における私たちの主イエスと生涯にわたって愛を育んでいたのです。彼にとって、ご聖体はすべての霊的恩恵の中心でした。それは魂の生命の息吹であったのです。… 司祭叙階後、彼はミサの奉献に長い時間をかけ、パンとぶどう酒が主イエスの御身と御血となるのを前に恍惚とした表情で時間を過ごすことに教区民から苦情が出るほどでした。」(Saint Padre Pio – devoted to the Eucharist and Mary

私たちはおそらく、ピオ神父のようにミサで主の受難を見ることはできませんが、彼の経験は、ミサが単なる儀式ではない、非常に大きな超自然的な出来事であることを教えてくれています。聖グレゴリウス1世もミサ中に、主の受難を目撃したと言われており、聖別された聖体パンが、イエスの体であることを明確に示すご聖体の奇跡は数多く存在しています。

私の教区の司祭は説教の中で、ご聖体を拝領する前に告解する必要性を強調しています。さらにご聖体に対する信仰の必要性については、「信じていないのなら、ご聖体を拝領してはいけない」と言われました。また、何世紀にもわたって行われてきたように、ご聖体を舌で受けることを推奨し、どうしても手で受けたいという人には「受けたらできるだけ早くご聖体拝領してください」と呼びかけました。最後に、ご聖体拝領の後に、感謝の祈りを捧げることを忘れないようにと、アドバイスしています。

ご聖体への祈りーパドレ・ピオ

パドレ・ピオはご聖体を拝領した後、感謝をささげ以下のように祈っています。

主よ、私と共にいてください。私は弱く、あなたのお力が必要です。

主よ、私と共にいてください。あなたは私の命であり、あなたがいなければ、私には意味も希望もありません。

主よ、私と共にいてください。あなたは私の光であり、あなたがいなければ、私は暗闇の中にいるのです。

主よ、私と共にいてください。あなたの意志をお見せください。

主よ、私と共にいてください。私があなたのお声を聞き、あなたに従うことができますように。

主よ、私と共にいてください。私はあなたをさらに愛し、いつもあなたと共にありたいと願うのです。

主よ、私と共にいてください、もし私がいつもあなたに忠実であることをお望みでしたら。

主よ、私と共にいてください。私の魂が貧しくとも、それがあなたの慰めの場となり、あなたの愛の住まいになるようにと願うからです。

イエスよ、私と共にいてください。日が暮れ、人生が過ぎ去ろうとしています。死と裁きと永遠が近づいています。途中で立ち止まることがないよう、私の力を新たにする必要があるのです。時が遅くなり、死が近づいています。ですから私には、あなたのお力が必要なのです。私は暗闇を恐れ、誘惑を恐れ、乾きを恐れ、十字架を恐れ、悲しみを恐れています。私のイエスよ、この流浪の夜に、私はどれほどあなたを必要としていることでしょう!

イエスよ、私と共にいてください。あらゆる危険を伴う人生の暗闇の中で、私はあなたを必要としているのです。

あなたの弟子たちがパンを裂くとき、そうであったように、私があなただと悟ることができますようお助けください。ご聖体拝領が闇を払いのける光となり、私を支える力となり、私の心の唯一の喜びとなりますように。

主よ、私と共にいてください。死の間際、私はあなたと一つになりたいのです。もし、ご聖体を拝領できないのなら、せめてあなたの愛と恩恵のなかにいさせてください。

イエスよ、私のそばにいてください。私は神の慰めを求めておりません。なぜなら私はそれに値しないからです。あなたが共に存在しておられるという贈り物だけを願うのです。そうです!私はあなたにこれを求めます。

主よ、私と共にいてください、私はあなたと、あなたの愛、あなたの恩恵、あなたの御意志、あなたの御心、あなたの霊だけを探し求めているからです。私はあなたを愛し、あなたをますます愛すること以外、いかなる報いも求めておりません。

私が地上にいる間、心を尽くしてあなたを愛し、永遠にあなたを完全に愛し続けることができますよう、お与えください、親愛なるイエスよ。

Padre Pio prayed this prayer after receiving Holy Communion from Aleteia より抜粋)

あなたの聖体の祝日と聖体の祝日の一週間が、神の恵みで満たされますように。

image: Eucharist, painting on the church altar