7月2日は、聖母マリアが、妊娠中のいとこのエリザベトを訪問したことを記念する祝日です。訪問を記念するという意味のなかには、このエピソードの中にある、神学的に豊かな意味が含まれたお祝いになります。伝統的には7月2日に祝われますが、ノヴス・オルドでは5月31日となっています。聖書には、以下のように語られています。
39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。
– ルカ 1:39–45
胎児であった洗礼者ヨハネの喜び
上で述べましたが、エリザベトのお腹の中にいた子どもは洗礼者ヨハネでした。旧約聖書の預言者たちが皆そうであったように、ヨハネはメシアが来られることを預言しました。(ヨハネ1:19-28)ヨハネは、ある日、イエスが自分に向かって歩いて来られるのを見て、人々に「神の小羊だ」つまり、この方こそメシアですと告げました。(ヨハネ1:29-34)このため、ヨハネは旧約聖書の最後の預言者として知られています。
伝統的な解釈によれば、預言者であったヨハネは、マリアの胎内にいた胎児イエスがメシアであることを悟り、喜びのあまり踊ったと言われています。
アベマリア
聖霊に満たされたエリザベトが、マリアに告げた祝福の言葉は、カトリックの聖母への祈りである 「アベマリア 」の一部となりました。
Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum.
Benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei,
Ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.
アベマリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
(太字の部分は16世紀に追加されました)
福音書は、コイネーギリシャ語で書かれています。コイネーギリシャ語は、ローマ帝国の共通語で、ユダヤ人が公の場や異邦人と話すときに使われたと考えられています。しかし、エリザベトは、おそらくアラム語でマリアに挨拶したと考えられています。アラム語は当時のパレスチナ系ユダヤ人の母国語であり、おそらく彼らが家庭内で使っていた言語だと信じられているからです。
以下のビデオでは、シューベルトのアベ・マリアを聴くことができます。
マリアの言葉 マニフィカト
マリアがエリサベトに語った言葉は、ルカによる福音書1章46節から55節にあり、マニフィカトと呼ばれています。マニフィカトは伝統的に晩の祈り(Vespers)で歌われ、通常は日没の頃に歌われます。以下はその一部となります。
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
– ルカ 1:46–49.
ゼカリヤの賛歌
晩の祈り(Vespers)でマリアの聖歌が歌われた後、就寝前の祈り(Compline)でシメオンの賛歌(ルカ2:29-32)が歌われ、日の出の頃、朝の祈り(Lauds)でゼカリヤの賛歌(ルカ1:68-79)が歌われます。以下はその一部となります。
ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、
僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる預言者たちの口を通して
語られたとおりに。
それは、我らの敵、
すべて我らを憎む者の手からの救い。
– ルカ 1:68–71.
古い本に見つけたアイルランドの伝統的なマリア賛歌
今年の7月2日は日曜日でしたが、教区司祭のお説教の中で、マリアがエリザベトを訪問したことについて特にお話しはありませんでした。ほとんどの教区司祭はノーヴス・オルドの暦に従って説教しますので、これは驚くことではありません。それにしても、せっかくの聖母マリアの祝日なのに、伝統的な暦について何も語られず、いささか寂しい気がしていました。
ミサの後、いつものように教会内の小さな図書コーナーに立ち寄りました。教会の図書コーナーには、時代から取り残されたような古本がたくさんあり、自由に借りることができるからです。
借りたい本を何冊か取り出していると、目立たないところに赤い背表紙と中世風の女性の絵が描かれた本が目に入りました。手にとりよく見てみると、小さな字でセイント・ルーシーとあります。背表紙の女性は聖ルーシー(ルチア)で、私の守護聖人の一人です。興味をそそられた私は、『My Nameday-come for Dessert』(ヘレン・マクローリン著)というタイトルの、その本を開いてみました。
私が偶然開いたページは、7月2日の「聖母のエリザベト訪問の祝日」のページで、おすすめの賛美歌がありました。最近の音楽にはない、シンプルで素朴な魅力をもつ賛美歌です。マリアの祝日のひとつに、私の守護聖人を通し、神がこの歌と祈りを紹介してくださったようで、とても幸せな気分になりました。
「Oh Mary of Graces― ああ、恩恵のマリアよ」 静かな祈りの旋律
この賛美歌は、もともとはアイルランド、ゲール語の伝統的なフォーク・ソングだったそうです。伝統的なアイルランドの歌い方はアカペラで、楽器の伴奏はなく、物語を語りながら目を閉じて歌いました。
この短くも美しい歌は、ゲール語から英語に翻訳され、「Oh Mary of Graces ーああ、恩恵のマリアよ」と呼ばれています。原曲の静かな旋律は、心にしみる哀愁があります。私はこの曲に悲劇に見舞われた人が、聖母に祈りを捧げているような印象をいだきました。と同時に、自分の不幸を嘆くのではなく、祈りによって乗り越えようとする人の強さも感じます。
伝統的なゲール語では歌われていませんが、ジョナス・エクルンド(Jonas Eklund)氏のビデオは曲の雰囲気にぴったり合っています。ギターのシンプルな伴奏に合わせ、ゆったりとしたテンポで少女が透明感のある声で歌っています。
この聖母への美しい祈りと賛歌が忘れ去られることなく、後世に語り継がれることを祈ります。
Source: McLoughlin, Helen. My Nameday–Come for Dessert. Collegeville, MN: The Liturgical Press, 1962.