ベネディクト16世の葬儀のビデオを見ていて、ベネディクト16世に対するひどい扱いに気が付きました。
まず彼の遺体がセント・ピーター・バジリカ教会に移動するときの状況です。彼の遺体がのせられたのは、グレーのビジネスで使用するようなバンです。そしてそのバンの後に、ほんのわずかな人達の葬列が続いています。
遺体を運ぶ車のあとに葬列が続くのは、イタリアではごく当たり前の習慣であり、教皇であったベネディクト16世には長い葬列が続くはずでした。おなさけで葬列をつけたような事態になったのは、バチカンが、長い葬列を認めなかったためです。多くの司教たちが葬列に加わりたかったのですが、拒否され、参列できなかったのです。
人々は、「こんなことは、イタリアで一番小さな村の男にさえされない 」と言っていたそうです。 (Rorate Caeli より要約)
到着した教会にも寂しい葬列以外映っておらず、ビデオだけみると孤独な人生を送った人の葬列のようです。事実は違います。ビデオには映っていませんでしたが、セント・ピーター・バジリカ教会の外にはたくさんの人が、彼の遺体が到着するのを待っていた、とのことです。
聖職者であり教皇であったベネディクト16世への仕打ち、死者への不敬は、許されてはいけないことです。このような仕打ちが行われたということは、ベネディクト16世がまちがいなく狼と戦っていたことの証明だといえるのではないでしょうか。
聖書では、以下のように述べられています。
私の為にののしられ、迫害され、見に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者も、同じように迫害されたのである。 (マタイ5:11,12)