ゆるしの秘跡の守秘義務は守られるべきか

最近のニュースで、「ゆるしの秘跡」で明かされる情報の守秘義務について、論争があります。このような守秘義務は、告解の封印(カトリック用語)、聖職者懺悔の特権(法) として知られています。この論争は、告解室で聞いた告白が、性的虐待に関する場合、司祭に警察への報告を、法的に義務付けることが望ましいかどうかというものです。以下はニュースの概要です。

ワシントン州とバーモント州では、カトリックの司祭の守秘義務を認める民法を撤廃するかどうかが検討されている。それを受け、ワシントン州スポケーン教区のトーマス・ダリー司教は、今週、ワシントン・エグザミナー紙のインタビューに対し、州議会で提案された法案(HB1098)が制定されれば、カトリック聖職者は遵守を拒否するだろう、と語った。- 3月3日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡の守秘義務は交渉不可能 

トーマス・ダリー司教は、そのような法案が制定されてた場合、告解の封印を破るくらいなら、刑務所に入ると宣言しました。また、同僚のカトリック聖職者たちも同じことをする、と確信していると付け加えました。さらにダリー司教は、「秘跡を破ることは、交渉可能な問題でない」と断言しています。

※3月8日付、アメリカン・マガジンによると、ワシントン州とデラウェイ州では、この法案が法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

同じくデラウェア州ウィルミントンでも、司祭が秘跡を破ることになる法案を通そうとしています。ウィルミントン教区の司教も、断固とした態度で臨んでいます。

ウィルミントンのウィリアム・E・ケーニッヒ司教は、秘跡に反対する法案が提出されているにもかかわらず、懺悔室の封印は「いかなる状況においても破られることはない」と明言している。- 3月9日付 ライフサイト・ニュース

※3月8日付のデラウェイ・ニュースによると、この法案が、法律化されるかどうかは数週間以内に決定するとあります。

※いずれも、3月8日以降、まだ情報が更新されていないようです。

2019年カルフォルニア州議会においては、司祭が告解室で聞いたある種の情報を義務付ける法律を制定しようとしました。その試みは失敗しました。前例から考えると、今回も失敗する可能性が大きいのでは、と予測されますが、また誰かが同じことを試みないとは確信はできません。司祭の仕事を妨げる同様の試みが、今後、立法府に入る可能性は高いといえます。

A Church Interior with Women at the Confessional 1863
Ludwig Passini

ゆるしの秘跡の守秘義務は不要なのか?

一方、ある司祭は、聖職者のもつ守秘義務の特権を、撤回する考えを支持しました。以下は、その概要となります。

ウィスコンシン州ミルウォーキの引退したカトリック司祭、ジュームス・E・コーネル司祭は、守秘義務を認める特権を撤回する考えを支持する論説を執筆した。ウィスコンシン州のジェローム・リステッキ大司教は、コーネル司祭の不穏な働きを嘆き、彼から秘跡をあたえるすべての権限を剥奪した。- 3月23日付 ライフサイト・ニュース

ゆるしの秘跡をおこなう権利は、司祭の大司教、もしくは司教から与えられます。したがって、コーネル司祭は世界中どのカトリック教区においても、告解を聞くことができなくなるのということです。もしコーネル司祭が(あるいは他の司祭が)告解の封印を破った場合、自動的に破門されることになります。

司祭を通し、神に罪を告白する告解の秘跡は、世間が考える「告白」とは異なるものです。司祭をとおしてさずかる罪のゆるしは、魂の救いを伴うものだからです。秘密を明かさなかったため、殉教した司祭もいるのです。そして、いかなる状況であれ、告解の封印を破った司祭は、自動的に破門になります。

私は、リステッキ大司教が、コーネル司祭の権利を剥奪したことは、彼が破門になる危険をなくすためでもあったと考えます。そして告解の内容が秘密にされるという確信は、信徒に、魂の救いである秘跡を受けることを、勇気づけたのではないかと思います。

告解の内容に報告義務を課す法案:弁護士の考察

倫理・公共政策センター(Ethics and Public Policy Center)が発表した記事の中で、300以上の宗教団体などの権利を擁護してきた、優れた訴訟弁護士であるエリック・クニフィン氏は、ワシントン州、バーモント州、デラウェア州の法律案について、次の3つの大きな問題点を指摘しています。

1) 提案された法律は、政府が司祭に告解室での封印を解くよう強制できると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立した場合、司祭が「州に証拠を突きつける」のではなく、神父が刑務所に収監される結果となる。

2) 提案された法律は、告解室の封印を解くことで、子供たちがより安全になると誤って推定している。現実には、これらの法律が成立すれば、虐待者(および他の罪人も同様)は告解から遠ざかる傾向がある。その結果、子どもたちはより安全でなくなる。

3) 提案された法律は、宗教を差別している。提案された法律は、聖職者の秘匿特権(すなわち告解室の封印)を攻撃するが、弁護士と依頼人の秘匿特権(弁護士は依頼人が話したことを明らかにしない)については言及しない。つまり、この法律案によれば、世俗的な理由であれば秘密はOKで、宗教的な理由であれば秘密はNGということになる。これは宗教に対する差別であり、違憲である。

宗教的な信仰を守ることも重要である。そのどちらか一方を優先させるのが議員の仕事ではない。両者を両立させるために、配慮と尊敬をもって努力することだ。

ボストン・グローブ紙のコラムニスト、ジェフ・ジャコビー氏が最近書いた「子供を守ることは極めて重要な問題である」という言葉を引用して、クニフィン氏は締めくくっています。

このような法案は、宗教の自由を脅かすものです。破門か逮捕かの二者択一を司祭に強いるような社会になってはならないのです。

ゆるしの秘跡の暴露本


前述したように、告解室は厳重な機密保持の場です。

2年前、そんな告解室の秘密を暴くような本が出版されました。フランス、ヴァンサン・モンガイヤール著、「私はあなたの罪をすべて許します」(Je Vous Pardonne Tous vos Péchés)です。この本は、40人の神父が聞いた告白の実話を集めたものです。この本のためにインタビューを受けたある司祭は、教会の法律に違反しないように、告白の個人的な詳細はすべて変更されていると説明しています。

ハーパーズ誌が翻訳した抜粋は、50代のカップルのコミカルな告白から、犯罪者に赦免を与えた後のある司祭の後悔まで、多岐にわたります。

私の印象では(私が読んだ抜粋だけでは)、告白のほとんどは、人々が犯す一般的な誤り(例えば、その多くは夫婦間の不貞に関わるもの)についてのものだと思われます。この本が教会法に違反していないとしても、私は、このような話を明らかにするよりも隠す方が、ゆるしの秘跡の尊厳にかなうと思います。

ゆるしの秘跡についての司祭からの指摘

ライフサイト・ニュースのインタビューで、神秘主義者としても知られる、ミッシェル・ロドリゲス司祭が、私たちが直面している霊的な戦争について話しています。そして、祈りとともにゆるしの秘跡を受ける、ということの大切さを強調しています。ゆるしの秘跡について、ロドリゲス司祭は、次のようにアドバイスしています。

1)小さな罪(小罪)から大きな罪(大罪)まで告白する。(自分がしてしまった罪の告白)

2)あなたがすべきであったのに、しなかったことを告白する。

私は今まで2)の、すべきであったのにしなかった、ということにはあまり注意を払っていませんでした。「やらなかった」という単純な事実は、七つの大罪の一つである「怠惰」ではないかと思い至りました。

仕事をし、忙しくしているからと言って、怠惰の罪から解放されるわけではないのだ、と知っています。その一方、神の恵みによってのみ気づくことができる、霊的な怠惰の罪は、やっかいだ、と感じています。

第二バチカン公会議以降、告解に行く人の数は減ったと言われています。私はゆるしの秘跡をさずかり、心と体が軽くなった経験を何度もしています。私だけではありません。私のプロテスタントであった知人も、改宗し、はじめてゆるしの秘跡を受けたあと、文字通り背中から大きな荷が降りたような軽さを背中に感じたそうです。

マザーTは、いつも私に、祈り、ゆるしの秘跡にあずかることが、いかに大切かを話してくれていました。私たちは、このような神秘的秘跡をさずかれる恩恵を見逃すべきではないのです。

告解の封印と宗教の自由

米国では、国家と教会の間の亀裂がますます大きくなってきています。先に述べたように、最大の問題は、教会の信教の自由を脅かす圧力です。圧力には、カトリック系病院に中絶を行わせる法律、教会関連団体に従業員が使用する避妊具を負担させる法律、カトリック養子縁組機関に同性カップルの養子縁組をさせる法律、(現在)聖職者の懺悔特権を剥奪する法案などです。

告解の封印を解くことを司祭に要求するという話は、女性の「聖職化」を支持する人々を思い起こさせます。

1994年、教皇ヨハネ・パウロ二世は、「教会には女性に司祭叙階を授ける権限は一切ない 」と宣言しました。今回の聖職者の特権の剥奪に関しても「教会にはそれを行う権限はない」のです。告解の印は教会法であると同時に「神の教え」であり、教皇自身が変えようと思っても変えることはできないものなのです。

ところが世俗国家は、カトリック教会とは、世俗的国家から独立した権利を持っている、という事実をすんなりとは受け入れてはくれないようです。

この問題で「児童性的虐待」という言葉を持ち出す本当の目的は、人々の感情を揺さぶり、この法律案が、実際には変えられないものを変えようとしている、という事実に目をつぶることなのです。この法律案は、児童虐待を防止するためのものではありません。宗教の自由に対する攻撃、秘跡に対する攻撃、教会に対する攻撃に他なりません。

Image: Wooden judge`s gavel. Law. Judge`s office

赦しの十字架(パードン・クルシフィクス)-ピオ10世に免償された十字架

カトリックには、長い教会の歴史のなかにうずもれてしまい、見向きもされなくなってしまった宝物が沢山あります。コンバット・ロザリオ(スイス衛兵公式のロザリオ)生みの親であるリチャード・ハイルマン司祭は、「悪魔が何かを憎むとき、単にそれを人々から隠そうとする」と述べています。信徒に、あまり知られていない赦しの十字架も、そのような宝物の一つです。

この十字架の起源は不明ですが、1904年にフランスの司祭たちが、マリア議会(Marian Congress)にて、ある枢機卿 にこの十字架を紹介したことがきっかけで知られるようになりました。その翌年の1905年、この十字架は教皇ピオ10世によって免償符として公布され、この十字架への献身が奨励されました。

赦しの十字架には、十字架の脇に聖母マリアのメダイ、そして聖ベネディクトのメダイがおかれることもあります。これらの聖具のうち、一つでもあれば悪魔にとって憎むべきものですが、三つを組み合わせることで、悪に対する強力な武器になります。

赦しの十字架の祈りと免償符

赦しの十字架は、、他の免償符と同様、告解後の苦行の軽減を提供するもので、罪の免除を提供するものではありません。免罪ではないので、お気を付けください。私は、一瞬免罪かと思い(これで告解にいかなくてもよい)と軽率なことを考えてしまいました。

16世紀初頭、免償符の正確な意味に混乱がありました。そのため1563年のトレント公会議で他の多くの問題とともに、この問題も明らかにされました。それ以来、免償符は「すでに罪が赦されている罪による、一時的な罰を神の前で免除するもの」と明確に定義されています(『カトリック教会カテキズム』1471条)。

赦しの十字架に、教皇聖ピオ10世は以下の免償を与えています

§ 赦しの十字架を身につける者は、それによって免償を得ることができる。

§ 敬虔に赦しの十字架に接吻することにより、免償を得ることができる。

§ この十字架の前で次の呼びかけのいずれかを行う者は、その度ごとに免償を得ることができる

  • 天にまします我らの父よ、我らに罪を犯す者を我らがゆるすがごとく、我らの罪をもゆるしたまえ
  • 聖マリア、私のために神である主にお祈りください

§ この十字架に、常日頃より献身的信仰をもち、告解と聖体拝領の必要な条件を満たす者は、誰でも、次の祭日に全免償を得ることができる。: 主の五つの傷、聖なる十字架の発見、聖なる十字架の日、無原罪の御宿り、聖母マリアの七つの悲しみの祭日に、である。

§ 死の間際に、教会の秘跡を受けた者、あるいは秘跡を受けることができないと思い、心を痛めた者が、この十字架に接吻し、神に自分の罪の赦しを求め、隣人を赦すものは誰でも全免償を得ることができる。

教皇が言及した祝祭日は以下の通りです。

  • 2/6 (リスボンのみ灰の水曜日の次の金曜日となる)主の聖なる五つの傷の祭日
  • 5/3  聖なる十字架の発見の祭日
  • 9/14 聖なる十字架の日の祭日
  • 12/8 無原罪の御宿りの祭日
  • 枝の祝日の前にある金曜日、そして9/15の聖母マリアの七つの悲しみの祭日

そして、こちらもあります。

1905年6月の教皇の詔書、ルマン修道院長方々様、

枢機卿、そしてマリアン議会様へ

免償省の聖なる修道会の総長様へ

この十字架に敬虔に接吻し、貴重な免償を得る信徒には、以下の意図を視野に入れることをすすめます。

私たちが主と聖母への愛をあかしとすること、私たちの聖なる父、すなわち教皇への感謝の気持ち、自分の罪の赦しを乞うこと、煉獄にいる魂の解放、世界諸国の信仰への回帰、キリスト教徒間の赦し、カトリック信徒間の和解。

1905年11月14日の別の教皇詔書により、教皇ピオ10世は、赦しの十字架にあたえられた免償は煉獄にいる魂に適用されると宣言しました。

なくされた免償符である赦しの十字架

1968年6月29日(聖ペトロと聖パウロの祝日)付けで、パウロ6世は『免償符の手引き書-The Handbook of Indulgences』を出版しました。

その本の冒頭近部分には、こう書かれています。「 新しい手引き書(Enchiridion)に載せられていない、すべての一般的な免償符の付与、および教会正式教義本(Codex Iuris Canonici)の免償符に関するすべての法律は、抑制される…」としています。つまり、新しい手引書に載せられたものを除き、すべての免罪符が取り消されたという意味になります。

2冊のうち、厚い本が第2バチカン公会議以前の「免償符の手引き書」で、薄い本が第2バチカン公会議以降の「免償符の手引き書」です。免償符の数が激減していることがわかります。残念ながら、赦しの十字架は新刊には収録されていません。

しかし一方で、赦しの十字架(他の十字架と同様)、聖母マリアの奇跡のメダル、聖ベネディクト・メダルはいずれも強力な聖具です。聖人への祈りや十字架の前で祈ることには、依然として免償の恩恵があります。つまり、赦しの十字架は、時にあるそれに付属するメダイも含め、大きな精神的な宝物を形成しているのです。それは神からの祝福であり、偶然という名の必然であると私は信じています。

スカプラリオに入れられた赦しの十字架

この十字架を知るきっかけとなったのは、ある司祭が日本から私に送ってくださったおかげです。この十字架について、私はいままで聞いたことがなく知りませんでした。先ほども述べたような、三つの強力な聖具が一つになった十字架は、家族の問題を慢性的にかかえている私をとても力づけてくれました。

また送っていただいた十字架は、カルメル山聖母のスカプラリオに入れられていました。赦免の十字架をどのように身に着けても良いと思いますが、スカプラリオに入れるというのはとても良いアイディアだと思います。得に私のように金属アレルギーがあると、身に着けるときアレルギーの心配をせず身に着けることができ、スカプラリオのさらなる恩恵をいただけるからです。本当に感謝でいっぱいです。

この十字架は、もはや公式な免償符ではありません。それでも象徴的に、主を十字架に携えています。この強力な秘跡である赦しの十字架がより広く、人々に知られるようになることを心より祈ります。

Source for Papal documents: The Pardon Crucifix | Catholicism Pure & Simple (wordpress.com)

聖パトリック:ムイルフ『聖パトリックの生涯』 (2)

ムイルフの『聖パトリックの生涯』は、聖パトリックがアイルランドで最初に洗礼を受けた人物のことを語っています。その人は、豚飼いのディクという人でした。ディクに洗礼を授けた後、聖パトリックは、奴隷として働かされていた主人の家へ向かいました。自分を奴隷にした主人に洗礼を授けようと思っていたからです。しかし、パトリックがそこに着く前に、誰かが奴隷の主人に「パトリックは、今、あなたの主人になるために戻ってきた」と言うようなことを告げていました。奴隷の主人は悪魔にふきこまれ、パトリックが主人になるぐらいなら、と全ての自分のもちものを周りに集め家に火をつけました。そして、自殺してしまったのです。

聖パトリックの預言

奴隷の主人の家についたパトリックは、燃える奴隷の主人の家を見ながらしばらくの間、ただ泣き続けていました。そして奴隷主の家族について、神からの預言を残しました。すなわち、この男の息子たちは、他人を支配するのではなく、むしろ、これから先は他人に服従するという言葉を残したのです。

「私は知らない、神は知っている」パトリックは何度か繰り返しました。これは、決して呪いではなく神からの預言だ、という 意味でした。クリスチャンにとって、自殺は最も深刻な罪のひとつであり、悪魔からの恐ろしい誘惑です。奴隷主は神の救いを拒み、悪魔の誘惑に負け、謙遜するよりも、誰かにこの世の財産を捧げるよりも、死を選んでしまったのです。

私は、この伝説は脚色されているとはいえ、もしかしたら事実だったのかもしれないと思います。よくある奇跡の物語ではないからです。救いをもたらそうとしたパトリックが、ただ泣いていただけであり、奴隷主の家族は神から暗い未来の預言を受けたという点が、他の伝説よりも現実的であるように感じるからです。その後、その家族がどうなったかは不明です。けれども、奴隷主の家族に関する、奇跡などの後日談は残されていません。恐らく、聖パトリックの預言通り、不幸な最期を迎えた可能性が高いのではないかと思います。

聖パトリックのお墓

St. Patrick`s Tomb, Downpatrick, Northern Ireland

聖パトリックの墓は、北アイルランドのダウンパトリックにあります。伝説によると、パトリックは生前、自分の遺体を埋葬する場所について遺言を残していたそうです。

パトリックは、彼が亡くなり、彼の遺体が納棺されたら、その棺桶を荷車に乗せ、牛が好きなところに牛車を引かせるようにと言ったそうです。そして、その牛が止まったところが、彼の埋葬場所である、と遺言を残したそうです。人々はパトリックの願いに従い、牛が荷車を引いていった丘の上に行き、そこにパトリックは埋葬されました。そして、その場所を示す目印の石が置かれました。やがて、この場所は巡礼の地として人気を集めるようになりました。

その後、12世紀に聖パトリックの聖遺物はホーリー・トリニティー教会(通称ダウン大聖堂)に移され、聖ブリジットや聖コルバの聖遺物とともに現在に至っています。今でもこの丘は、主要な巡礼地となっています。

一方、聖パトリックの聖遺物がダウン大聖堂にあるという話も、あくまでも伝説であると考えられています。E・セレナー氏によると、彼がどこに埋葬されたのかは誰も知らないということです。

私は、この聖パトリックの墓をオンラインで見ながら、かつて訪れたある町の(小さいながらも歴史あるすでに閉鎖された)、聖パトリック教会のお墓を思い出しました。その教会の裏手には、いくつかのお墓がありました。歴史好きの私は、ある日、興味本位でそのお墓を見に行きました。すると、それらのお墓はその教会の歴代神父たちのもので、その中に30代で亡くなった若い司祭のお墓がありました。30代という若さでしたので、どんな人生だったのだろう、若くして死を受け入れるのは大変なことだったのではなだろうか、と思いました。 きっと聖パトリックのように故郷を離れ、神の意志に従い、無名の聖人の一人になったのでは思います。

四旬節における聖パトリックの祝祭日

毎年、聖パトリックの祝日が近づくと、あと数週間で四旬節が終わるということで、私は励まされます。主に、四旬節の間はできるだけ甘いものを控え、イースターにはできるだけ甘いものを食べたいという、不謹慎な理由からです。

ノビス・オルドの新カレンダーに変更されてから、四旬節中は、あえて祭日が少なくしてあります。苦難の連続だった聖パトリックの生涯を振り返ると、四旬節にふさわしい聖人だな、としみじみと感じました。いつか、アイルランドにある聖パトリックゆかりの地を訪れ、ミサにあずかってみたいと思います。

Image: Saint Patrick statue in Downpatrick

Source for the life of Patrick: Celtic Spirituality. Oliver Davies : PaulistPress, 1999.

Source for St. Patrick’s burial place: Sellner, Edward: Wisdom of the Celtic Saints. Ave Maria Press, 1993.

聖パトリック:三つ葉がシンボルのアイルランドの使徒(1)

今年も「聖パトリック」の祭日、3月17日がやってきました。

カトリックの聖人「聖パトリック」は、アイルランドの守護聖人です。多くのアメリカ人はアイルランドの祖先をもっています。そのような理由もあると思いますが、アメリカでは人気のある聖人です。

聖パトリックの祭日には、伝統的に三つ葉のクローバーが用いられます。これは伝説でパトリックが、理解不可能といわれている神の神秘「三位一体」について人々に、三つ葉のクローバーを用い説明したといわれているためです。実はこの話は、18世紀に創作された話のようです。しかし彼が残した「告白」、そして「コロティクスの兵士に宛てた書簡」から、彼の人生についてほんのわずかですが知ることができます。

聖パトリックの生涯-アイルランドで宣教師となるまでの足取り

アイルランドへキリスト教を広めた聖パトリックですが、生年生没不詳です。恐らく4世紀後半から5世紀初期に英国で生まれた人物である、と信じられています。パトリック自身の回想によると、キリスト教助祭の息子であったが、信心深くはなかったとあります。パトリックがアイルランドで宣教師として導かれるまでの足取りを、こちらで簡単に紹介させていただきます。

奴隷として売られた聖パトリック

彼の人生を、大きく変えることになる出来事が起こったのは、パトリックが16歳ごろのことです。アイルランドからの略奪者にとらわれ、奴隷にされ、羊飼いとして売られてしまったのです。そのような大変な状況に置かれたことについて、彼は彼の著書「告白」のなかで、「私たちは神から離れ、神の戒めを守らなかったのですから、自業自得です。私たちは、どうすれば救われるかについて助言する司祭の言葉に耳を貸さなかったのです」と述べています。その当時の羊飼いというのは、常に命の危険にさらされる過酷な仕事でした。そのような試練をパトリックは、神から罰ではなく、彼の信仰を強めた神の祝福だったと続けています。

神の不思議な導き

アイルランドでの彼の生活は羊の世話をしながら、祈り続けることでした。そのような生活を続けているある日、寝ているときに不思議な声が聞こえ「祖国に帰れる」、と告げられました。そして「見なさい。あなたの船は準備されている」とその不思議な声から知らされます。23歳になっていたパトリックは逃亡奴隷として、200マイル以上を旅し、船着き場へと向かいました。ようやく船までたどり着いたパトリックに、船長は乗船を拒否しました。それでもパトリックは、あきらめずに、神に祈りをささげました。すると神の働きにより、乗船を許可されたのです。

3日後パトリックたちは船を降り、英国に向かい荒野を旅しはじめました。そして28日間荒野を旅をしているうち、ついに食料がつきてしまいました。一緒に旅をしていた船長は彼に「万能で偉大なクリスティアンの神に祈ってほしい」と願います。パトリックが祈ると豚の群れが現れ、彼らは豚を殺し、体力を回復することができたのでした。その日の夜、パトリックは悪魔の攻撃を受け、祈りによって救われたたことも記述しています。

かつてアイルランドの旅は、船のほうが陸地を旅するより安全だったそうです。パトリックの荒野の旅の記述は、今では考えられないような危険と困難をともなっていた、ということの一つの証明だといえます。この後の話ですが、パトリックが自分の故郷に無事到着したのか、それとも故郷への旅をしばらくあきらめ、違う土地にとどまっていたのかは不明です。

フランスからアイルランドへ

そして数年後、パトリックは二度目の捕虜となりました。そして再び脱出し、ついに、英国の両親のもとにもどります。しかし教育を受けず、過酷な経験をしたことにより、普通の生活に戻る難しさを感じます。神からの使命を強く感じたパトリックは、両親、親戚が止めるのも聞かずローマに行くことを決意しました。ローマの旅への途中、聖ゲルマヌスに出会います。パトリックは、ガリア(フランス)のオセールでの聖ゲルマヌスもとで、神職の勉強をすることになったのでした。

そのような時に彼はまた、不思議な導きを受けます。ヴィクトリカスという名前の男がアイルランドからの無数の手紙をもってきた夢をみたのです。神の導きがあり、パトリックはふたたびアイルランドに戻ることを決意します。

その後のパトリックの生涯については、彼の自伝からではなく、伝説として語り継がれてきたものです。歴史事実として述べることができるのは、パトリックがキリスト教をアイルランドに広め、それと同時に文字、ローマ暦、そして教会の伝統を伝えたことです。パトリックにより広められたキリスト教はアイルランド全土に根付きました。彼の死後、アイルランドは、世界で最も最も修道院の多い国の一つとなりました。そして知識の宝庫となり、司祭や修道士、尼僧の養成に貢献しました。ローマから、修道士たちが学びに来るほどになったのです。

奇妙なドルイドの予言

これらの話は、パトリックが没後約150年後に書かれたムイルフ『聖パトリックの生涯』によるものです。

アイルランドに向かう前に、英国で司教となったパトリックは、多くのドルイド教徒と共にいた異教徒の王(ニアルの息子)が支配するターラへと向かいました。
パトリックがアイルランドにやってくる二、三年前から、ドルイドたちは王に「自分たちの島に、自分たちの生活様式を破壊しようとする者がやってくる」と予言し始めました。ドルイドの予言は、その当時の慣習により詩の形式で、パトリックとキリスト教について驚くほど正確に描写しています。

ドルイドの予言

アイルランドに新しい生き方が外からやってくる。
それはまるで王国のようで、遠くから、海を越えやってくる。
それは、我々をいらいらさせる教えをたずさえてくる。
その教えは、ほんの一握りからしか与えられないが、多くの人が受けとることになる。
そして、すべての人から尊敬の念をいだかれることであろう。
王国を転覆させ、それに抵抗する王を殺すだろう。
そして人々を誘惑する。
我々の神々を全て破壊し、ドルイドの慣習を追い出すだろう。
そしてこの王国には終わりがない。
頭を剃った者が、その先端がくるくると丸った棒を持ってここに来るだろう。
彼は穴の開いた頭で、自分の家から胸がむかつく不浄なことを歌うだろう。
家の前にある机から、
彼の家族全員が、「そうなりますように。そうなりますように」とこたえるだろう。

ドルドルイドの予言は本物?

私は神話や伝説、民話が大好きです。その理由のひとつは、私たちに伝わる物語の中には、脚色されたり誇張されたりしているとはいえ、事実に基づいているものがあるからです。

ドルイドは、残酷な方法で人間を生贄に捧げ、未来を予言することで有名でした。明らかにドルイドは、悪魔的な宗教を実践していたのです。仮に、ドルイドの予言が悪魔の力を借りてなされたとします。そうすると、その予言の内容が聖なるものを表現したくない(あるいはできない)悪魔が、日常的な物の名前を用い表現することを、時により、思い起こさせるのも納得がいくと言えます。

ウィリアム・キャクストンが翻訳した『黄金伝説』には、悪魔が 「鍋」と呼ぶエクソシストの聖杯の話があります。もちろん、『黄金伝説』の話が必ずしも歴史的に正しいとは限りませんが、ドルイド教の予言書に出てくる聖なるものの描写は、どれも日常的な物の名前を例えに使用しており、よく似ているように思います。

エクソシストのヴィンセント・ランパート司祭は、あるインタビューで、悪魔は聖なるものについて話すことを避けると述べています。ドルイドの予言では、坊主頭で杖を持ったカトリックの司教が描写されていますが、それは間接的なものです。そして、最後の 「そうなりますように」”May it be so” は、ヘブライ語の アーメンの翻訳である” So be it “と同じ意味となります。

この話は後から創作されたものかもしれませんが、当時のアイルランドの文化的背景を考えると、非常に興味深い予言であると思います。

(2)へ続く

Image: Scenes from the Life of Saint Patrick. National Gallery of Ireland

Source for the life of Patrick: Celtic Spirituality. Oliver Davies : PaulistPress, 1999.

悪魔の誘惑に打ち勝つために- エドワード・ミークス司祭

今週は四旬節(レント)の3週目にあたります。四旬節は、誘惑や悪霊についてよく耳にする時期です。四旬節の第1週目に、メリーランド州タウソン市にあるクライスト・ザ・キング教会のエドワード・ミークス司祭が、悪魔の霊的攻撃についてのビデオをアップロードしました。彼はかつて、コロナワクチン義務化に反対し、話題になりました。ライフサイト・ニュースによると、エドワード・ミークス司祭は、中絶、性転換手術、ポルノ、ドラッグショーを「悪魔の狂気」と断じた、とありました。

A Blanket of Demonic Insanity – Fr. Edward Meeks

私はヘッドラインだけ読み、ミークス司祭が、最近の世相への非難を強い口調で述べていたのかしら、と想像してしまいました。しかしビデオを確認し、そうではないことがわかりました。はじめから彼の話を聞くと、悪魔の誘惑に対抗するためのお説教がメインであり、ヘッドラインにある言葉だけをピックアップして読んだ時と、受ける印象がずいぶん違うことに気が付きました。お説教の最後の部分では、悪魔の霊的攻撃を見極めることができるよう、私たちにとり理解しやすい説明をしてくれています。

悪魔の誘惑とは?アダムとエバ、イエスからの教訓

まずミークス司祭は、お説教の前半で悪魔がアダムとエバ、そしてイエスキリストを同じような方法で誘惑したことにふれています。そして誘惑されたアダムとエバ、イエスから、私たちが「否定的教訓」と「肯定的教訓」をどのように得ることができるか、という点について述べています。以下に、ミークス司祭の指摘を紹介します。

The Creation of Eve (Hours of Catherine of Cleves, ca. 1440).

1.食べるー禁断の果実への誘惑とパンへの誘惑

エデンで、悪魔は蛇に化けて、エバに(注)禁断の果実を食べるように勧めた。 (創世記 3)
神はアダムとエバに、その実を食べたら死ぬとはっきりと告げていた。しかし、エバは、その実を食べても死なないという蛇の言葉に納得してしまう。悪魔の誘惑に、負けてしまったのである。 

40日間の断食の後、空腹のイエスは、石をパンに変えてみるように促された。イエスは悪魔に「人はパンだけで生きることはできない」(マタイ4:6)と言い、悪魔の罠にはまらなかった。

(注)エバが食べたのはリンゴだとすぐに思い浮かべるが、聖書では明確には述べていない。ミークス司祭も聖書の通り「禁断の果物」と述べている。

2.あなたは神のようになる

蛇はエバに「この禁断の果実を食べれば、神のようになれる」と言った。実は、アダムとエバは、永遠の命を持つ神に似せて造られていたので、神のようになる必要はなかった

悪魔はイエスに、「神殿の高台から飛び降りなさい。そうすれば、自分が神であることを証明できる」と言った。さらに悪魔はイエスに「私を拝むなら、この世のすべての王国とその栄光を与えよう」と誘惑した。イエスは悪魔に言った。「あなたはあなたの神である主を礼拝し、その方だけに仕えなさい」イエスは、誘惑されながらも、悪魔の罠にはまることはなかった。

ミークス神父の説教は、私たちが悪魔の誘惑に打ち勝つためには、神の言葉である聖書が不可欠であることを教えています。

エクソシストは悪魔に命令を下し、追い出すが、悪魔と会話はしません。(してはならない)。というのも、悪魔(人間の弱さや人に言えない彼らの悪の秘密をすべて知っている)と会話することは、悪魔にその人間を利用する機会を与えてしまうからです。蛇の姿をした悪魔がエバを誘惑したとき、エバは自分の言葉で悪魔に答えてしまいます。しかしイエスは、悪魔の誘惑に。聖書の言葉をもって答えておられます。

世相に見る悪魔の誘惑と攻撃

そしてお説教の後半部分で、ミークス司祭は、確かに、ヘッドラインにあったようなことを発言していました。

まずミークス司祭は、悪魔は、ほとんどの場合、悪魔の誇張した姿(overplay his hands-悪魔が自分の能力に対して自信過剰になり危険を犯す姿)を私たちに見せるものだ、と述べています。そのうえで、ミークス神父は、「悪魔が今日、私たちの世界でそのようなことをしている兆候がある」と指摘しています。そして、ここでミークス司祭のヘッドラインにもあった発言になります。彼は、そのような悪魔的な狂気は、以下のような形で現れていると言います。

1.胎児の殺人。(中絶)
2.胎児を守る人への攻撃。
3.(注)ジェンダー・イデオロジーの名の下に、子供たちを外科的に切断すること。すなわち性転換手術。
4.公共図書館でドラッグ・クイーンによる子供向け本の朗読。
5.公立学校の図書館にあるポルノ本。
6.悪魔崇拝を祝うテレビのプライムタイム番組。

(注)人種と同様に、男性らしさ、女性らしさは、価値観や社会的地位を伝える社会的に構築された概念である。Gender Ideology | Encyclopedia.com

といった具合です。

以下は、彼のお説教からの抜粋です。

私は、何百万人もの理性的な人々が不合理なことをしているのを見るたびに、起こっていることの中に(注1)悪魔の要素を探します。(注2)悪魔的な狂気の毛布が地に降り注ぎ、私たちはそれを目の当たりにしているのです。

(注1)悪魔のしわざではないだろうか、と怪しく思う。

(注2) 英語の「a blanket of fog」という表現から、悪の狂気が霧のように地に降り注ぎ、地上を覆っていることを意味していると考えられる。

上記の事柄は、いずれも米国で頻繁に議論されていることがらです。一方、米国とは対照的に、日本ではキリスト教的世界観や、反キリスト教的世界観を反映した社会現象はほとんどありません。けれども残念なことに、ミークス司祭の言うような悪魔的な狂気の働きが、日本でもすでに起こっていることは明らかです。日本では、キリスト教的西洋文化と、反キリスト教的西洋文化の違いを全く知らないまま、西洋文化の多くの側面を喜んで受け入れています。日本のような国におき、そのような悪魔の狂気がどのような悪影響を及ぼすことになるのか、懸念せざるを得ません。

悪魔の罠におちいらないために

司祭の仕事は、私たちの魂の救いのために霊的危険を警告することです。しかし司祭が伝えようとする真実のなかには、目に見えない悪魔の存在などがあります。このようなことは、多くの人にとり、古い迷信のように思われたびたび無視されがちです。ベネディクト16世は『Introduction to Christianity』(P.39-40) の中で、キルケゴールの話を引き合いに出し、無視され続ける司祭や神学者を、危険な火事を知らせようとする道化師に例えました。

バチカンのエクソシストであるガブリエル・アモース師は、著書『An Exorcist Explains the Demonic』の中で、原因不明の身体や精神の病が悪魔の攻撃であるかどうかを見極めるプロセスについて述べています。医学博士については、「実際、彼らの多くは悪霊の存在を想像することさえできない 」と述べています(p.85)。

頭では理解していたとしても、目に見えないものがあるということを心で実感することは、多くの人にとって難しいことだと思います。例えば、私の場合、毎週日曜日、ある教会のミサに参加しています。司祭は説教の中で、大罪の恐ろしさについて語ることがあります。私は教会の教えを信じています。けれども、司祭のお説教に、集中できていない自分がいることがよくあります。地獄に落ちる罪の本当の恐ろしさを感じていないことがあるのです。もっと司祭の話に耳を傾ける必要が私自身にもあります。

日常生活においては、何をしていても「祈り」を忘れずにいたいと思います。祈りは神に心が向くことですので、悪魔の誘惑にあってもより良い選択ができるようになるからです。悪魔の攻撃を防げるよう、神様のお恵みを願いたいと思います。私にも、そして世界にも、神様の御心が成されることを心から祈ります。


悪魔の嫌うラテン語:祈りの宝庫ラテン語ミサ

経験豊かなエクソシスト、ゲイリー・トーマス師は「悪魔はラテン語を嫌う」と断言しています。そして、この意見は、彼自身と他の人々の経験に基づくものだと付け加えています。(こちらをご覧ください)

教皇フランシスコの自発教令、トラディチオニス・クストデス(Traditionis Custodes)の実施後、ラテン語ミサに参加することはさらに難しくなります。バチカンでは、ラテン語ミサの数を減らすことを最優先課題としているようです。しかし、実は伝統主義者の数は非常に少なく、最も多い教区ではミサ参加者の2.5%、その他の地域では平均1%程度となっています。-ナショナル・カトリック・レジスター

聖なるものはすべて悪魔の脅威ですが、伝統的なラテン語ミサの諸要素は、実に強力なものであるに違いないといえます。どうやら、伝統的ミサに教区民の1~2%でも参加することがあれば、悪魔にとっては耐え難いことであり、何としてでも消滅させたいようです。

祈りに集中できるラテン語ミサ

私はアメリカに来てからラテン語ミサに参加するようになりました。それまではノブス・オルド(1969年に公布された新しいミサ形式)に参加していました。ですから、渡米前の私は、ラテン語ミサについてほとんど何も知りませんでした。

しかし、ラテン語のミサに参加し続け、徐々に慣れてくると、ラテン語のミサの方が、ノブス・オルドのミサよりも祈りに集中できることに気づきました。

ノブス・オルドのミサは、口語的な言葉で行われ、世俗的な音楽が使われることがほとんどです。私がノブス・オルドのミサで集中できなかった理由のひとつは、そういう世俗的な音楽が原因でした。私が通っていた教会では、「民族音楽」と呼ばれる音楽でしたが、実際には、何世紀も前の民族音楽が使われているわけではありません。ポップミュージックや、下手なミュージカルで聞くような音楽です。そのような音楽は、私の祈りの妨げになることが、度々ありました。

ノブス・オルドでの祈りづらさ

これは例えば、歌詞やメロディーを聞いていて、「アレルヤは言わないはずのレント・シーズンでなぜ、レントにふさわしくないアレルヤの曲?第二バチカン以降、気にしなくなったのかしら?何でこんな明るい曲を選曲したのだろう?」と、典礼の意味にそぐわないことばかり考えてしまうことにもあります。挙句の果てに「あ、今ギターの人コードまちがえたようだ」などと思い始めると、もうおしまいです。祈りに全く、集中できなくなってしまうのです。

ミサでは、神に祈り、神と交わることに集中しなければなりません。それは、どんなに良いときでも簡単なことではありません。神秘性を感じられない、ガチャガチャとした音に気を取られてしまうのです。伝統的なミサには静けさがあります。その中で、私たちは祈りに集中することができるのです。

本来のミサであるラテン語ミサでは、祈りであるグレゴリアン聖歌が歌われていました。聖書のなかでは悪魔に対抗するために「神の武具を身につけなさい」(エペソ6:11)と述べています。「神の武具」すなわち祈りです。伝統的ミサでのグレゴリアン聖歌は、言い換えれば何世紀も続いてきた伝統的ミサの「祈り」の宝庫の一部なのです。世俗の世界で楽しむための音楽と、神への祈りのための音楽は、根本的に違うのです。

神の祭典にふさわしいラテン語ミサとグレゴリア聖歌

なぜ、このような世俗的なミサが推奨されるのでしょうか。民族音楽を使用したミサ、通称フォーク・ミサに合わせた音楽は、簡単で楽しく歌えるようなタイプのものがほとんどです。歌いやすい歌に気楽な雰囲気のミサは、誰でもすぐに気負いなく参加できるという利点がある、と典礼者改革者たちは考えたのでしょう。

しかし、そのような気楽な雰囲気は、果たしてミサにふさわしいのでしょうか。私は、神が祭壇に臨まれる、この世で最も神聖な活動であるミサは、もう少し厳粛に祝うべきものである、と考えます。もっと静寂がふさわしいのではないでしょうか?簡単な音楽が好ましいと思うなら、週7日、教会のミサの時間以外の日常生活のなかで楽しめばいいだけの話なのですから。世俗の娯楽としての音楽と、神への祈りのための音楽とは根本的に違うのです。 

聖書では、悪魔に対抗するために「神の武具を身につけなさい」(エペソ6:11)と教えています。神の武具の一部は祈りです(エペソ6:18)。伝統的なミサのテキストは、教会が何世紀も前から持っている祈りの宝庫の一部なのです。ラテン語ミサの古くからのオリジナル音楽であるグレゴリオ聖歌は、旋律の形をした祈りです。旋律はゆっくりと動き、祈りの言葉の意味をより深く感じさせてくれるのです。

Missa cum jubilo – Kyrie – YouTube 主よあわれみたまえ

グレゴリオ聖歌の不思議な体験

私は以前、ラテン語ミサのグレゴリオ聖歌に参加したことがあります。そして一度、世俗音楽とグレゴリオ聖歌の違いを実感する不思議な体験をしたことがあります。

ある土曜日、私は翌日(日曜日)に歌う予定のグレゴリオ聖歌の練習をしていました。練習をギリギリまで先延ばしにしていたのです。グレゴリオ聖歌の旋律の動きは独特で、現代音楽とはまったく違います。そのため、いつも覚えるのに苦労していました。その土曜日は、日曜日のミサに間に合わせるために、一日中、何度も何度も聖歌の練習をしていました。それでも、夜には、なんとか自分の聖歌を歌えるレベルまで持っていくことができました。夫に「一日中グレゴリオ聖歌を練習して、全身が祈りで満たされている」と冗談を言ったのを覚えています。

(やっとリラックスできる )と思いながら、私はお茶を飲んでいました。そして、ちらっと夫を見ると、インターネットで趣味のことを調べているようでした。それを見た瞬間、突然、経済的な負担を考えずにのんびりしている夫に対して、怒りがこみ上げてきたのです。

心の底から、ほぼ100%夫が悪いと思っていたので、怒りが支配して、すぐに憎しみに変わったのを覚えています。頭の中に憎しみの悪魔的なイメージが浮かび、体中の血液が毒されているような気がしました。

心のどこかで、(この異常な怒りはおかしい。危険だ )と感じていました。しかし、それでも私は(そうだろう。この怒りは正義なのだから。だから、こんなにひどくなったのだ)と、自分に言い聞かせ、心の警告を無視していました。その一方、(この怒りを神様が受け止めてくださいますように)と一瞬だけ祈ったのです。それはほんの一瞬であり、利己的な理由でした。(明日は日曜日だけど、この怒りでは、おそらく聖体拝領に値しないだろうな)と心の中で思ったのです。

すると、思いがけないことが起こったのです。突然、私の心の中に、憎しみとは正反対のやわらかい感情がわき上がってきたのです。恐らく神の愛だったのだと思います。怒りが薄れてくると、自分の頑固さ、人を信用しない、怒りしかもとうとしない自分の姿が見えてきたのです。また、困難な状況は呪いではなく、神からの贈り物であることに気づかされました。私に必要な忍耐力を強めてくれていたのです。そして、私の最大の怒りは、夫や困難な状況を経験しなければならなかったことではなく、困難な状況にある私を見ているだけの神に対するものだと気づいたのです。

その後、自分の意志と関係なく、しばらくは涙が止まりませんでした。そして強い眠気に襲われ、その後すぐに眠りました。そして翌朝は、心身ともに、とてもすっきりとし、目覚めることができました。

グレゴリオ聖歌を合唱しているとき、私たちは古い時代の祈りを生き生きと再現しています。証明はできませんが、グレゴリオ聖歌とラテン語の祈りの神秘的な力が、私の心の奥底に潜んでいた悪を浄化してくれたと信じています。

進むグレゴリオ聖歌の普及

伝統的ミサは、古くから受け継がれてきた祈りと、それを補完するグレゴリオ聖歌で構成されています。しかし、今、バチカンは、この伝統的ミサを極力排除しようとしています。本質的な問題は、バチカンが伝統的なミサを制限することで、その中にある神との交わりを育む古くからある祈りも制限していることです。一方で、少なくとも私の小教区の教会では、ラテン語ミサが廃止された今、ノブス・オルドのミサには、以前にも増してグレゴリオ聖歌が多く取り入れられるようになりました。これは大変興味深いことです。今後、どうなるのかは神のみぞ知る、ですが、ラテン語ミサの恩恵を受けることが難しくなった今、私たち一人一人が神を信じ、より一層信仰を深めていく必要性を強く感じています。

イタリア大聖堂にあるグレゴリオ聖歌本の画像: Dreamstime

FBIが伝統派カトリック信者を監視

最近のFoxニュースによると、FBIがラテン語ミサを好む伝統派カトリックを急進的伝統主義カトリック(RTC)と呼び、監視をしようと試みていることが判明しました。ニュースは、教会の教えに従おうとする、伝統派カトリックへの弾圧が、一層ひどくなることを思い知らせるものでした。

この事実は、FBI内部で回覧されたメモに記されており、そのメモは、元FBI捜査官で内部告発者となったカイル・セラフィン氏により暴露されています。メモには、急進的過激派伝統主義カトリック信者と「白人民族主義者」がオンラインでの交流を試みることの危険性を懸念している、と書かれていました。

USCCBは 「過激派 」を非難する一方、カトリックを標的にしたFBIのメモは 「厄介で不快だ 」と述べています。米国カトリック司教協議会のティモシー・ドラン枢機卿は、FBIのメモに対して、「はっきりさせておきますが、USCCBは人種差別を信奉する者を全面的に非難し、我々のコミュニティーの安全を守る法執行機関の仕事を全面的に支持します」と述べています。- カトリック・ニュース・エージェンシー

FBIのメモには「白人民族主義者」は、伝統派カトリック教徒が交流しやすいものである、としていました。この主張には、左派のプロパガンダで有名な南部貧困法律センター(Southern Poverty Law Center)を引用する以外、何の根拠も示されていません。問題は、「白人民族主義者」「カトリック伝統主義者」を同列することにより、伝統主義=差別主義のような印象を与えてしまう可能性です。教会のことをよく知らない第三者であれば、FBIのような権威者の貼ったラベルを信じてしまうかもしれません。そのような場合、誰がその報道に責任をもつのでしょうか。FBIが、教会ラテン語ミサに参加する人々を監視することが正当化できるのであれば、次は誰を監視することになるのでしょうか。ライフサイト・ニュース

ラテン語ミサの制限で教会内の分裂を招く

2022年、聖母マリアの誕生日を祝う9月8日から始まったミサの制限は、フランシスコ教皇によると、カトリック信者をより強く結束させることを意図していました。

確かにより強い結束は重要です。聖書では三つよりの糸(ひも)の例え(コヘレト4:12)を用い、悪魔に対抗するために、結束することが大切である、と説いています。しかし、すでに大多数の信者が「ノブス・オルド」と呼ばれる口語訳、現地の言語で行うミサを祝っており、ラテン語ミサを好む教会信徒は、少数派でした。なぜわざわざラテン語ミサを制限したのでしょうか。

ベネディクト16世がラテン語ミサ制限を撤廃したことは、伝統派とリベラル派の「対立」ではなく「調和」をもたらしました。そしてベネディクト16世は第二バチカン公会議、1996年の新しいミサ書にもかかわらず、ラテン語ミサは決して禁止されていたわけでないことを明確にしています。さらにラテン語ミサは大切な教会の遺産であり、多くの人々に精神的な栄養を与えていると述べています。

またこの制限は「結束」の名の下に、ラテン語ミサが、スペイン語ミサ、英語ミサなど特定の言語の人を対象としたミサではない、という事実を無視しています。世界中の違う言語をしゃべる人々が、第二バチカン以前のようにラテン語ミサでは合一し、同じミサに参加することができるからです。

バチカンによる制限を受け、私たちの司教も教区内のラテン語ミサの回数を減らすことにしました。私の教会のラテン語ミサは削減され、多くの伝統派カトリック教徒が、他のラテン語ミサのある教会に通うようになりました。ある女性は、「もうこれ以上、次は何があるのかしら、と考えるのに疲れたの。心配したくないから、カトリックSSPX教会メンバーとなる」とカトリックの一部である教会へ行くようになってしまいました。ラテン語ミサの結婚を、制限により断念した若い20代カッブルもいました。彼らは「伝統的ラテン語ミサを予約するには遅すぎると言われた」と本当にガッカリしていました。彼らも、結婚後、離れた場所の教会でラテン語ミサに参加するようになりました。小さきテレジア像の前で、一人で祈る時間をいつも過ごしていたある女性は、ラテン語ミサ最後の日、「教会に裏切られた気分です」と言っていました。その日以来、彼女も見かけていません。

ラテン語ミサ禁止の本当の目的

ラテン語ミサの何が、FBIやバチカンをここまで疑心暗鬼にさせるのでしょうか。

最初に考えられるのが、政治的理由です。今回の背景に感じられるFBIの本当の思惑とは、現在の政治に対し、人々に違う視点を与える可能性のある人々の排除だと考えられます。伝統派カトリックたちの多くは、この世の権威者に盲目的に屈服することはありません。事の次第によっては、妥協し、盲目的に権威者に屈服することが神に背くことになる、と恐れるからです。保守派キリスト教徒と同じサイドにたち、この世の権威者が決めた「政治的正しさ」に、疑問をなげかけるのがその伝統派カトリックです。そして教皇に従うカトリック教徒は、国が完全に彼らの思想をコントロールするのが難しい人々なのです。つまり、良心的なカトリックは国家の飼い犬ではないのです。

このことを裏付けるかのような世論調査結果では、伝統的なカトリック信者は、最近の「政治的正しさ」に反する立場をとる傾向が強いことが確認されています。例えば、伝統派の圧倒的多数が反対する中絶、同性婚などです。ラテン語ミサを制限する本当の理由は、社会的な 、いわゆる「改革者 」の邪魔をする人々を弾圧し、迫害することであることは間違いないでしょう。ラテン語ミサに参加する人々が過激派のレッテルを貼られ、扱われれば、社会全体が彼らを無視する可能性が高くなるからです。 (調査の詳細はライフサイト・ニュースの記事を参照)

教会における腐敗と堕落

では、教皇に従うべき伝統派カトリック教徒たちが、なぜミサを制限されることに不満を抱いているのかです。その大きな理由とし、この制限がただの制限にとどまらない、光と闇の戦いのはじまりの一環であると認識しているためです。

一般的に、ラテン語は悪魔が耐え難いほど嫌う言語、といわれています。そしてその悪魔との戦いは、黙示録、教会が伝える聖人たちの預言、聖母マリアの数々の出現が預言し警告しているように数限りなくあります。それらの預言は共通し、この世の終わりが近づいたときの教会が大規模な腐敗に陥ることを警告しているのです。

この堕落のなかには、教会の世俗化も含まれています。近年の教会における世俗化の例とし、コロナ中2000年の教会の歴史のなかではじめて、復活祭までも完全に教会が閉鎖されました。教会は政治的、世俗的圧力に負けたのです。

次の腐敗は、神に従う人々への迫害です。ある司祭は、生まれてくる命を守るため多くの良い働きをしていましたが、過激すぎるとされ還俗させられました。司祭として活動する資格をはく奪されたのです。一方、同性愛を認めるなど、教義に反する過激な発言を続ける司祭には沈黙をつらぬいています。

そして最も恐ろしい腐敗は、唯一の神以外の礼拝です。極めてスキャンダラスであったバチカンのパチュママ事件をはじめ、教皇とカナダ枢機卿の異教であるアメリカンインディアン儀式への参加、数々の耳をうたがうニュースからは、キリストを信じるカトリック教会権威者としての威信は感じられません。言い換えれば、教会権威者たちが、キリストを信じる組織であるという確信を部外者に与えるものではないと言えます。教会の腐敗や堕落は、一般の企業組織で時々起こる腐敗よりもはるかに危険です。なぜなら、教会の「ビジネス」は魂の救済だからです。堕落した実業家は自分の魂に損害を与えます。腐敗した教会の指導者は、彼の群れにいるすべての人の魂を危険にさらすのです。

このような闇の動き、悪魔に対抗する最も効果的な武器が、ラテン語ミサなのです、すなわち教会は、今、悪魔と戦うための強力な武器を制限しているのです。繰り返しになりますが、この制限は教会を、内部から、ゆっくりと破壊しています。破壊が目的でない限り、過去からの信仰の宝庫であるミサに対する制限は無意味なだけなのです。

新たな規制が始まるのか?

現在、フランシスコ教皇は、新たな制限をラテン語ミサに課せようとしていると噂があります。先に述べたように制限を受け、伝統派の人々は、それまでいた小教区からラテン語ミサのある小教区へ移動してしまうようになりました。結局のところ「ノヴス・オルド」を好む人、「ラテン語ミサ」を好む人という図式は変化していません。

私は伝統主義とし、同じ伝統派の人々が同じ教会にとどまることを望みます。すべての有効なミサは、キリストの御身、血、霊魂、神性を私たちにもたらします。もしラテン語ミサ制限の隠れた目的が、「分裂」にあるならば、あえてラテン語ミサを諦め、同じ場所にとどまるほうがよいことが明らかであるからです。

なぜなら私の関心は、ミサの制限そのものより、むしろ悪魔の最初のターゲットであるはずの一番強い人、司祭たちの状況にあるからです。先に述べたような教会の動向から、神の教えに従う司祭たちは目にみえないこところで苦労していることが想像されます。そのような神の働きに携わる人々を勇気づけることが必要です。聖書には、「強盗はまず一番強い人を縛り、その家を強奪していく」(マタイ12:29)とあります。このような事態を避けるためにも、忠実な伝統主義者は「神の武具を身に着け」(エペソ6:11)、神から与えられた場所で祈ることが重要だと考えます。自分の持ち場にとどまることこそを、最優先させるべきだと考えます。

Email 画像:E-mail Picture. Image: 5677401 (dreamstime.com)

恋人たちの守護者、聖バレンタイン

2月14日は聖バレンタインの祝日で、世界中で愛と恋人たちを祝福する日です。しかし、聖バレンタインとは一体どのような人物で、どうして恋人たちの守護聖人になったのでしょうか。

聖バレンタインの由来

2月14日が聖バレンタインデーになった経緯ははっきりしています。しかし、バレンタインデーが愛の日となった由来は、明確ではありません。

カトリック教会では、敬虔なキリスト教徒として模範的、英雄的な生涯を送った人物を死後、聖人に列することがあります。生きている人が毎年誕生日に表彰されるように、聖人も毎年、聖人の祝日と呼ばれる特定の日に表彰されるのです。聖人の祝日は、通常、その人が亡くなった日です。聖バレンタインは、ローマ皇帝クラウディウス2世(A.D.268-270)の時代に、キリスト教の信仰のためにローマで殉教しました。2月14日に殉教したとされており、この日が聖バレンタインの祝日となっています。(注2)

聖バレンタインとはどんな人物なのか?

バレンタインという名の聖人については幾つかの話があります。ひょっとすると、それらの物語のバレンタインは、すべて同じ人物かもしれません。もしくは同じ名前の聖人が2人、あるいは3人存在しており、その人物のそれぞれの話の可能性もあります。

これは、多くの殉教者が出た初期キリスト教時代、新しい殉教者は、同じ名前の古い殉教者と同じ日に列聖される習慣があったためです。ですから、幾人ものバレンタインという名の人が殉教し、全員が同じ日に祝われた可能性を否定できません。その場合、ある聖バレンタインの物語が、他の聖バレンタインの物語と混同された可能性があるからです。

その中の一つ、聖バレンタインの由来とし、最もよく語られているのは3世紀ローマ、司祭であったバレンタインのお話です。ローマ皇帝クラウディウス2世は、若い兵士の結婚を厳しく禁じていました。結婚を禁じたのは、独身であることが軍人として優れていると考えられていたことと、男性には兵役が義務づけられていたが結婚を理由に戦争に行きたがらなかったため、と伝えられています。聖バレンタインは、若い兵士たちのために、キリスト教とキリスト教結婚式の禁止されたローマで、結婚式のミサを執り行っていたため死刑に処された、と伝えられています。(注1)

歴史家たちの見解

歴史家たちは、この話の信ぴょう性について疑いを抱いています。その理由は、アウグストゥス帝の時代に制定された軍人の結婚式の禁止令は、クラウディウス2世の時代にはすでに廃止されていたためです。

また、バレンタインはイタリアのテルニ出身とされていますが、彼はローマで殉教しています。テルニの聖バレンタインとローマの聖バレンタインは、別の人物なのでしょうか?それとも、一つの都市からもう一つの都市へ移動した同一人物なのでしょうか?真実は誰も知らないのです。(注2)

確かなのは、バレンタインという名前をもつ人物が神の愛のために殉教した日である、ということだけです。恋人たちへの秘密の結婚のミサ、そしてそのために殉教した司祭バレンタインの話は、愛の日にとてもふさわしい話ですね。

諸聖人への祈り

全能なる天主、
主の殉教者なる聖...の天国に生まれたる日をたてまつる我らを、その御取次によりて主のみ名に対する熱愛において強からしめたまはん事を。

参考:チト・チーグレル譯, 彌撒典書,光明社,1949年発行

聖バレンタインの奇跡

この伝説には、彼が捕らえられた後の奇跡の話が続きます。

牢獄に入れられたバレンタイン司祭は、アステリウスという看守と親しくなりました。バレンタイン司祭はアステリウスから、目が不自由なため一人で読むことができない娘ジュリアのために資料をよんでくれるよう頼まれました。ジュリアとも親しくなったバレンタインは、処刑される日、彼女に手紙を残しました。本来なら目が不自由だったジュリアの目では、手紙を読むことなどできません。しかし、彼女の目は奇跡によりいやされ、この手紙を読みことができたのです。彼の手紙には「あなたのバレンタインより」とメモされていました。(注1)

歴史家は、この話にも疑問を持っているようです。バレンタインデーのカードの由来を「説明」するため、都合よく創作された話のようだからです。

一方、非常に古い話ですが、次のような話も伝えられています。

クラウディウス2世の時代、アステリウスという牢番に目の見えない娘がいました。彼女は司祭によって癒されました。そして、アステリウスとその娘は司祭から洗礼を受けました。そして2月14日、三人はローマのフラミニア通りで殉教したのです。(注2)

この奇跡をおこした司祭の名前は、バレンタインだったのでしょうか?それも確かなことは言えません。

聖バレンタインの聖遺物

聖遺物(聖人の骨の一つまたは複数)は人々の信仰の対象であり、聖バレンタインのものとされる遺物も数多く存在します。
例えば、「真実の口」で有名なローマのサンタ・マリア・コスメディン大聖堂には、聖バレンタインのものとされる頭蓋骨があり、花で飾られています。その他には、スコットランドのグラスゴー教会、アイルランド、ダブリン、カルメル会に属するホワイト・フライヤー・ストリート教会、スペイン・マドリードの聖アンソニー教会にも、彼と思われる聖遺物が残されています。テルニの聖バレンタイン(ローマの聖バレンタインと同一人物かどうかは不明ですが)の聖遺物の一部は、イタリアのテルニにある聖バレンタイン大聖堂に安置されています。

これらの教会のなかでイタリア、サンタ・マリア コスメディアン聖堂はカトリックのなかでも、とてもめずらしいメルキト・ビザンティ・カトリック教会です。メルキト派は,カトリック教会の東方教会の一派で、本部はシリアのダマスカスにあります。カトリックメルキト派の司祭は、EWTNのインタビュー「聖バレンタインの人生」のなかで、「私たちの人生と信仰を、真の深い愛で生きるためのとりなし」を願い、聖バレンタインの聖遺物の前で祈ると述べています。

The Life of St. Valentine – A Saint Who Dedicated His Life to Evangelization and Love – YouTube

一方聖バレンタインの守護する恋人たちにとても人気があるのは、アイルランドのダブリンのホワイト・フライアー・ストリート教会です。教会のオフィシャルサイトによると、この教会にある聖遺物は、血で染まった小さな器だそうです。この小さな容器は、1836年にローマ教皇グレゴリウス16世から送られたそうです。

これだけあると、どれかが本物でどれかが偽物であると考えるのが自然です。一方、聖遺物がすべて本物である可能性もあります。前述したように、同じ名前の殉教者は同じ日に祝う習慣があったためです。聖バレンタインとされる聖遺物が一人のものであれ、多くの人のものであれ、それらはすべて時代を超えて、今もなお教会により本物であるとされた聖遺物です。つまり誰の骨であろうと、聖人の骨なのです。

聖バレンタインのシンボル

キリスト教徒でなくても誰もが知っているバレンタインデー。殉教者バレンタインを象徴するアイテムは、赤いバラと小鳥です。そして、聖バレンタインは殉教者のシンボルであるヤシの葉を手に持っています。絵画に使われるシンボルでは、赤は血の色、バラは愛を象徴します。小鳥は幸せな恋人たちを連想させます。もしかしたら、聖バレンタインデーの小鳥のシンボルは、中世に2月14日は小鳥の交尾の日と言われていたことと関係があるかもしれません。 (注2)

聖バレンタインの日は、キリストへ命をささげた人物の神への愛の日がはじまりです。結婚式を挙げた司祭の話は伝説かもしれません。しかし、そのような司祭はきっと存在したのでしょう。聖なる殉教者たちが持っていたキリストへの深く真実な愛を、私たちも少しでももつことができるように祈りたいと思います。

聖バレンタインの頭蓋骨画像:Saint Valentine – Wikipedia 

注1) The Story of Saint Valentine (learnreligions.com)

注2)Valentino, il Santo senza Volto. Ecco perché (e come) lo si celebra (avvenire.it)

キャンドルミサ: マリア様のお清めの日

蝋燭をともして祝う私の大好きな聖燭祭、キャンドルミサが2月2日(木)に祝われました。

以下は、このミサについて、マザーTが使用していたミサのための典礼本の説明を要約した内容です。

この典礼は二部より成り立つ。行列とミサ、すなわち聖祭りである。

行列中の聖歌は喜ばしい御降誕と共に悔悛(犯した罪の悔い改め)の事をも想起するという意味があり、祝別された蝋燭を手にもって行列を行う、この灯された蝋燭はご復活の蝋燭と同様、御降誕の時この世に現れた誠の光明なるキリストの像である。 (1.P566) 

“Candlemas” at the Vatican Catholic News Service

この祝日は、灯したろうそくを使う習慣から「キャンドルミサ」と呼ばれます。伝統的に、クリスマスから40日後となり、二つのことを祝います。一つ目は、クリスマスに誕生したイエス様がモーゼの律法により神殿に奉献されたことです。イエス様はマリア様とヨセフ様の最初の子供であり、モーゼの律法によればすべての最初に生まれる男の子は神に捧げられます。

そして、二つ目はマリアのお清めの祝いです。ふたたびモーゼの律法になりますが、すべてのイスラエル人の婦人は出産した後の一定期間不浄とされ、神殿にはいることを禁じられます。その不浄の期間をすぎると、普通は羊を一頭、鳩を一羽神殿に奉納します。貧しいものは鳩を二羽奉納します。貧しかったマリア様とヨセフ様は、鳩二羽を奉納しました。(1. P565)

これは、どういう意味でしょうか。文字通りですと、イエスは羊と同じように祭壇の捧げものとされる、ということになります。しかし、もちろん人間の赤ちゃんをそのような捧げものにはしません。イエスを神殿に奉献し、かわりに鳩二羽を奉納し、鳩二羽とイエスを引き替えた、という意味となります。

教会の教義では、イエスとマリアは、すべての罪から解放されている存在のため、本来はこのような儀式は必要ありませんでした。マザーTの典礼本においては、「聖母が慣例に従い清めの式にあずかり、御子キリストも聖殿に捧げられたのは、聖母の謙虚さと御子の救世の事業にかかわるということを示されたのです」(要約)(1. P565)と述べられています。

キャンドルミサの蝋燭の祝別

カトリック教会には秘跡と準秘跡がありますが、秘跡について簡単に述べると「目にみえない神の恩恵のしるしを見えるかたちにしたもの」です。カトリック教徒は秘跡により、神の恩恵をさずかることができます。ろうそくの祝別はミサの最初に行われ、司祭に祈りをささげられ、準秘跡となります。ですから、祝別されたろうそくはわたしたちにとり、神の恩恵のしるしでもあり、恩恵が目にみえるかたちで授けてもらえる大事な日でもあります。

秘跡と準秘跡のちがいについて、ここでは詳しくふれませんが、準秘跡には、例えば、聖水、祝別された塩、メダイそれからロザリオなどがあります。準秘跡は、伝統的教会の教えにより定められています。ですから、お気に入りのコーヒカップや本は、準秘跡とはならない、ということです。

シメオンの歌「この(しもべ)を安らかに去らしてくださいます」

Nunc Dimittis (with ‘Salva nos’), the Canticle of Simeon – Gregorian Chant
Petrus Josephus

行列は、イエスが神殿に奉献された日、その場にいたシメオンの賛歌ではじまります。

このシメオンという人は、「メシアを見る前に死ぬことはない」と神からメッセージを受けました。神を信じ、老人になるまでメシアを待ち続けた人です。シメオンは、よくイエスを奉献したときの司祭と勘違いされますが、司祭でなくメシアを待ち続けて神殿を訪ねた老人です。シメオンはメシアに出会ったとき、ルカによる福音書の2章にある賛歌(カンティクル)を歌いました。

シメオンの賛歌は、聖務日課の一つ、コンプリンと呼ばれ、夜の祈りに歌われます。シメオンの祈りは「今こそ私を去らしてください」とも考えられていますが、彼がどちらの意味で神を讃えたのか聖書には書かれていません。私には、メシアが来た、そして神が約束を果たすということに、喜びの響きと少しの疑いも感じられない翻訳「この(しもべ)去らしてくださいます」がシメオンらしいのではと感じます。

取り除かれた「罪の悔い改め」の祈り

続いて二部のミサです。マザーTの1949年発行の典礼本には、罪の悔い改めの想起とありますが、実は現在のミサに、この美しい祈りの部分はすでにありません。これは1950年代、少しずつミサが短くなっていったからです。以下は、キャンドルミサの中の「罪の想起」であった「懺悔」の部分です。

主、願わくは起きて我らを助けた(たま)へ、主の御名(みな)の為に我らを救い(たま)へ。

天主よ、我らが(おの)が耳に聴けり、我らの先祖は我らに語れり。

願はくは聖父と聖子と聖霊とに光栄(さかえ)あらん事を、はじめにありし如く今も何時(いつ)も世々に至るまで、アメン。

主、願はくは起きて我らを助けた(たま)へ。主の御名(みな)のために我らを救い(たま)へ。 (1.P571)

キリスト教徒は、罪の悔い改めにより救われると信じています。得にカトリックには、告解、もしくは神との和解、とよばれる秘跡があります。これは司祭に罪を告白し、司祭が神の名において悔悛を赦すというものです。つまり告解後、人は罪から解放され、魂の救いに欠かせない恩恵をさずかることができるのです。罪の悔い改めの祈りが、なぜ懺悔のアンティフォン(交唱)が、なくされたのかは不明ですが、個人的には、この短いながらも大切な神への祈りが、いつか復活することを望んでいます。

信仰の炎を(とも)すろうそく

今年のキャンドルミサですが、平日にもかかわらず沢山の人が参加していました。私の教区の司祭はお説教のなかで、「かつて電気がなかった時代、どれだけ、ろうそくの灯が明るく感じたのか。想像してみましょう」と述べていました。かつて私は、神の光を知らず、自分が暗闇にいることにすら気が付いていませんでした。ろうそくの灯は、精神を照らすキリストの光でもあります。現代は24時間明るく照らされています。けれども、精神の暗闇はますます濃くなっているのではないでしょうか。ミサの最後に、「信仰の炎を灯しなさい」と司祭は言いました。一見些細なように見える光であっても、真っ暗な闇のなかでは大きな助けになります。心のなかに、「信仰」という名の炎をともしていけたら、と思います。

  1. 参考:チト・チーグレル譯, 彌撒(ミサ)典書(てんしょ),光明社,1949年発行

箴言集:ゲマトリア数秘術とソロモン王

知恵の王ソロモンと箴言集

箴言集は旧約聖書の知恵の書のひとつです。伝説によると、聖書の箴言集、コヘレト、雅歌は、ソロモン王(BC. 1011-931)はより執筆されたといわれています。ソロモン王(BC. 1011-931)は、エルサレムに、ユダヤ教の神殿をはじめて建てた王としても、歴史に名を残しています。

知恵の王とも呼ばれるソロモン王の執筆した箴言集は、ヘブライ語で書かれています。31章、約800の格言からなる書です。日付が記されていないため、どの格言が先に書かれていたのか不明ですが、通常、新しい章が先に書かれていたと考えられています。

アルファベット数375をもつソロモン王の名

聖書には「ゲマトリア数秘術」と呼ばれるヘブライ語を数字に置き換える方法があります。マザーTは、ソロモン王の箴言集にあるヘブライ語の数字についてメモをしています。

ヘブライ語のアルファベットの子音字には、その順番に応じた数値がある。ソロモンの子音の合計375。10章以下の{ソロモンの格言集}に格言の数は375。ーマザーT

ヘブライ語は母音がなく子音で構成される言語です。そして、それぞれのアルファベットに対応した数字があります。これはつまり、ヘブライ語の単語の中にあるアルファベットを一つずつ足すと、その単語の数があるということです。ヘブライ語で「ソロモン」は「שְל」(発音は「シャロモ」)です。この名前の数値は375となります。マザーTのメモは、箴言の数と 「ソロモン 」という名前の数値の一致を指摘している、ということがわかります。

トーラとソロモン王 

このソロモン王の数と箴言集の数の合計について、J君は一つの仮説を立てています。

箴言集を象徴する数字(380)トーラ(5)+ソロモン王(375)

ヘブライ語で「箴言」を表す単語は ” מִשְෆי ” (発音は「ミシュレ」)です。この単語の数値は380です。トーラーと呼ばれるモーセの律法は5冊の本から成っています。そのため5という数字はトーラーを象徴しています。そのトーラーを象徴する数字(5)にソロモンを象徴する数字(375)を足すと、380となり、箴言集を象徴する数字となります。つまり ソロモン(375)は、律法(5)を学ぶことによって、箴言(380)を書く気になった、とも解釈できるのかもしれません。-J君

このような言葉や数字を解釈するのは、ユダヤ教のラビが一般的ですが、キリスト教の教父にもこのような分析をした例はあります。例えば、聖ヨハネ・クリソストモスの聖書注解です。私も好奇心から、自分の名前をヘブライ文字で書き、その意味を調べるために聖書のゲマトリアを使ってみました(ヘブライ語の単語を数字の値で表したウェブサイト参考)。ラビが本当にこのような方法でゲマトリアを使うのかどうかは分かりませんが、非常に興味深いものでした。

(かみ)摂理(せつり)のなせる(わざ)

ユダヤ人によると「すべては神の手によるものであり、偶然はない」と言われています。マザーTの「10章以降、箴言集にはちょうど375の格言がある」についての説明は、残されてませんでした。しかし、次の文章は残されていました。

人間の目には偶然でも、神の目には必然である -マザーT

すべての数字をパズルのように組合わせた、古代ユダヤ人の知恵には脱帽しました。一方、私も、様々な聖書の不思議な偶然の一致は、神の手なしにはあり得なかった、と思います。

神に栄光