伝統的ラテン語ミサに参加:ラテン語での「あけましておめでとうございます!」は?

カトリックの新年のミサの中では「あけましておめでとうございます」をいうことはありません。そんなこともあり、ラテン語ではなんというのか気になり、言語おたくのジェローム君に質問。とてもマニアな話をしてくれたのですが、長くなりそうでしたので、簡単な2つの言い方のみ紹介します。

ラテン語:Felix annus novus!/Felices Kalendae Ianuariae

なるほど…ラテン語のルーツをもつスペイン語を少し知っているお蔭で、意味が理解しやすいです。

去年の9月まで、私はラテン語ミサに毎週参加していました。しかし9月8日より伝統的ラテン語ミサが、フランシス教皇の命により、多くの場所で自由におこなわれなくなったこともあり、今年は少し家から離れた教会でラテン語ミサに参加させていただきました。

ラテン語ミサをしていた離れた場所の教会で、私たちの本来の教会を去ったとても熱心だった女性に会いました。彼女のような人が私たちの教区からいなくなっていくことは、本当に悲しいことです。もし、ベネディクト16世がくれたような、自由が、今もあれば、このような分裂は起きなかったのでは、と思わずにはいられません。

ラテン語ミサをするために許可を必要とするようになり、教会内での分裂が静かに進行し続けているように見えます。

2023年がめぐみにあふれた年となりますように。

Xmasの意味とは?

By Jerome Wildeberg (ジェローム・ウィルデバーグ著)

皆さん、こんにちは。

この時期、皆さんは「クリスマスにキリストを」という看板やバンパーステッカー、車のマグネットを目にしたことがあるのではないでしょうか。

また、カトリック教徒であれば、「クリスマスにミサを行う 」ことの重要性を説いた人がいるかもしれません。

どちらもとても良い考えだと思います。

しかし、私は、このクリスマスのもう一つの側面を、おそらく皆さんが聞いたことのないようなアドバイスによって、皆さんにお伝えしたいと思います。XmasにはXをつけましょう。

Xmasと書くと、キリストの名前が含まれなくなるから好きではないという人がいます。しかし、XmasのXは実はローマ字のExではなく、ギリシャ文字のChiです。これは古代の「Chi-Rho」モノグラムの名残で、「Christ」という単語の最初の2文字をギリシャ語で省略したものです。

つまりXmas にもキリストは存在するのですが、”X “という神秘的なシンボルの下に隠されているのです。

そして、主の誕生を祝うこの祝日に、これ以上ふさわしいものがあるでしょうか。

最初のクリスマスに、神様は人間の肉体の中に、それも赤ん坊の肉の中に、ご自分を隠しておられたのです。赤ん坊は弱く、保護と世話を必要とする人であり、他人を守ったり、他人の世話をすることがでません。赤ん坊は危険から救われる必要がありますが、他人を救うことはできません。

もしあなたが危険な状況にいて、救助者(救世主)を期待するように言われたら、おそらくそのような無力そうな救助者を期待しないでしょう。

しかし、神がおられるときは、予期せぬことを期待したほうがよいのです。

「まことに、汝は自らを隠す神なり。
イスラエルの神、救い主よ」(イザヤ45:15)

だから、「X」という記号がふさわしいのです。X “の意味を考えてみましょう。算数では、”x “は “掛け算 “を意味します。代数学では、”x “は未知の量を表します。そして一般的に、”X “は神秘的で未知のもの、特にそれが巨大な力を持つものを表します。例えば、X線、Xファイル、Xファクター、X-Men、Xboxなど、これらすべての場合において、「X」は神秘的で強力な未知のものの印であるといえます。

神はXファクターであり、究極のパワーであり、究極のミステリーなのです。そして、最も小さく、最も期待されないような場所に自らを隠し、(例えば)赤ん坊になり、一片のパンになります。しかし、その小さな始まりは、やがて算数の「x」のように、その影響力は倍加し始め、止められない力となるのです。私たちの主が生まれたとき、ユダヤはローマ帝国、ヘロデ人、大祭司たちによって支配されていました。しかし、あの小さな赤ん坊が始めた教会は、2千年以上経った今でもここにあり、力強く続いています。

神はXファクターであり、ひとたび動き出せば、何をするかわからないのです。ナルニア国でビーバーさんが言ったように、「彼は飼いならされたライオンではない。彼は安全ではないが、良い人だ 」ということなのです。

代数学で、”x “の値を少し変えるだけで、他のすべての変数の値が根本的に変わるように、神の小さな一片が人の全人生を根本的に変えることができるのです。そして、一つの人生が世界を変えることができるのです。

「また神は地位のあるものを無力な者とするため、世の無に等しいもの、身分の卑しいものやみ下されている者を選ばれたのです。それはだれ一人神の前で誇ることがないようにするためです」(Ⅰコリント1:28)

聖書にあるように、神は、この世で低く、軽んじられているもの、すなわち、ないものを選んで、あるものを無にしようとされた、のです。

迫害者サウロは、「X」(使徒9:5)と掛け合わされ、元迫害者である使徒パウロになりました。パウロの言葉によって、アテネの人々の「X」、すなわち未知の神(使徒17:23)は、多数の既知の神々を崩壊させたのです。その不思議な力は、今日も働いているのです。

この世の「宿屋」(世俗的な目的のためのグループ、組織)には、神の入る余地はありません。しかし、もしあなたが心の中に飼い葉桶を作るなら、そこで神がなさるかもしれないことに備えることができのではないでしょうか。

神のざわめきは、私たちに働きかけているのです。そのような神の働きがあるとき、予期せぬ出来事が起こることを期待しましょう。

メリー・クリスマス。

※作者に許可をいただき、日本語で意味を理解しやすくするため意訳になっております。